2012年7月14日土曜日

当事者は今なにを

JR博多シティ屋上から夕景を望む
メディアではこのところ思い出したようにいじめの問題を取り上げている。滋賀県の件の中学校であったとされる「いじめ」の具体的な所業が漏れ伝わってきている。いっぽう、連日の報道でカメラの前に登場するのは、なぜか当地の教育委員会の幹部の面々だけだ。校長や担任の教師、「いじめ」に関わったとされる生徒、いわば当事者のコメントなどが報じられることはない。
 これっておかしくないだろうか。
 報道されている「いじめ」が事実なら、これはもう「いじめ」ではなく犯罪である。警察も初動段階で被害者の生徒の両親の訴えに耳を貸さなかった負い目を感じてか、「この種の事案にしては異例」という家宅捜索に踏み切った。でも、前述の教育委員会のトップ、つまり教育長は会見のたびに「いじめは確認できない」という言葉を繰り返すだけだ。
 今日、たまたま地域の学校教育の現場に詳しい人と話す機会があった。その人によれば、学校の校長(の職責)というのはチェーン店の店長代理と同等であるという。対外的に発信される情報はすべて本部、つまり教育委員会発のものであるらしい。したがって校長自身の見解や独自の判断が反映されることはないというのである。たしかに昨年、息子が通う学校の運営に関するアンケートで放射線量について校長の見解を質したところ、数ヶ月後に示された回答は「市のホームページに掲載されているデータを参照ください」という官製のものだった。
 捜査は教師への任意の聞き取りに及んでいるそうだが、教師は真実をありのままに明かしてほしい。何人もの生徒が事態を目撃して事情を把握していると思われる。良心のかけらがあるなら、彼らに対して現場の教師は口をつぐむことはできないはずだ。そして今後は捜査がこの事件の核心、つまり「いじめ」に関わった生徒に向かうのか注視していきたい。

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