2008年6月25日水曜日

あいさい電車その2


梅雨空も一休み。今日もあるイメージを追いかけて撮影に望むが今ひとつ。
こういう局面では、普段いかにカメラを使いこなしていないかがわかるもんです。フォーカスロックしたところにカメラが勝手に(?)露出を合わせてくれてたなんて、いままで気づいていませんでした。どうりで露出補正をかけても効き目が出ないわけです。
(京王井の頭線下北沢〜新代田 Canon EOS30D EF70-200mmF2.8L/RAW+DPP)


車内から撮っていて見つけた橋の上から撮影。このアングルは格別でした。濃い色のあじさいは晴れの日にも映えます。その横をちょうど同じ色の列車が駆け抜けていきました。
(京王井の頭線新代田〜東松原 Canon EOS30D EF70-200mmF2.8L/RAW+DPP)

2008年6月24日火曜日

あじさい電車


あじさいと井の頭線その2。下北沢〜新代田間にて。なかなかイメージ通りに撮れないもんです。
普段は落書きだらけの壁なんかを見ながら電車を走らせてる運転士さんも、この季節は心が和むのではないでしょうか。

2008年6月22日日曜日

副都心線


開業1週間の副都心線に息子と乗ってきました。渋谷駅の真新しいホームにはカメラを手にした親子連れやカップルの姿がありました。これは東京メトロでいちばん新しい10000系。それにしてもホームドアがあると電車の顔が眺めにくくなるなあ。


外側の2線を副都心線が使う構造の渋谷駅。内側の2線分の軌道は4年後にここにやってくる東急東横線か。横浜方面はまだコンクリートの壁になっていました。
それにしても開業したての始発駅の華やかさがありません。それともまだ未完成?


ラインカラーで表示されたコンコースのサイン。乗り換えの案内ばかりで、地上の風景をイメージできるサインがないのが気になる。「ハチ公口方面」とか「宮益坂方面」とかね。ターミナルとしての渋谷駅でなく、この街を目指してやってくる人の事をもっと考えるべきかな。
ホームからコンコースが見える吹き抜けの構造が話題になっているこの駅ですが、全体的にコンクリート剥き出しの素っ気なさからくる無機質で暗い雰囲気が馴染めません。安藤忠雄らしいといえばそれまでですが。駅ってもっと居心地のいい空間であるべきだと思う。

2008年6月15日日曜日

オアシス


久しぶりに新宿御苑に出かけた。かつて、家康の家臣・内藤氏の屋敷だったところで、現在の町名も内藤町という。まさに都心のオアシスで、園内の巨木の幹まわりも半端じゃない。入園料があったり、閉園時間があったりするが、騒ぎ立てる人間や、ゴミなんかも見かけないのが魅力だ。
そんな広い新宿御苑で気に入っているのが、いちばん広い芝生広場「イギリス風景式庭園」の真ん中にたつ大木。自分のいろんな思い出のページにこの巨木が載っている。
息子と走っていたら、いつの間にかその木の下にきていました。

2008年6月10日火曜日

あじさいの駅


通勤途中に井の頭線の東松原駅で下車してあじさい見物。ここは夜あじさいのライトアップをする駅としておなじみ。ほんとうは跨線橋の上から俯瞰したかったんだけど、アクリルのパネルで覆われていてダメでした。


ホームには京王の広報の腕章をつけた人とカメラマンらしき人がロケハンをしてました。来年用のポスターの撮影でしょうか。

2008年6月3日火曜日

七堂伽藍


五月晴れの日曜日。前から行きたかった近所の永林寺(八王子市下柚木)に出かけた。かつてこの地を治めた由木城主・大石定久公が、滝山城に移った跡地に創建された寺だ(かつては永鱗寺といったらしい)。1547(天文15)年には、八王子城主・北条氏照の助けで七堂伽藍を誇る大寺院になったという。
北条氏照といえば、小田原城陥落の直前に秀吉軍に攻め滅ぼされた悲劇の武将だ。その秀吉亡きあとここを訪れた徳川家康によって、現在の「永林寺」に改名されたという。「鱗」の字が北条の家紋(三つ鱗)を想起させたから、という説もあるらしい。
三重の塔から俯瞰した境内の雰囲気は、鎌倉や京都の寺院のような風格をたたえていた。ちなみに、この一帯の字名を「殿ヶ谷」という。


総門の赤色。いわゆる「べんがら色」。九州新幹線800系の屋根と同じ「赤さび色」だ。かつてここを訪れた徳川家康からお墨付きならぬ寺領十石を授かってから、許可を受け、この色の門が建立されたという。


江戸時代初期に再建された三門には、立派な仁王像が。息子はコワいと言って逃げた。


奥の由木城趾には、かつての城主・大石定久公の銅像がひっそりと立っていた。


総門(赤門)から我が家の方角を眺める。首都大学とニュータウンの建物がそびえていた。