2008年4月20日日曜日

ハードディスク交換


かすかな予兆はあったものの、ハードディスクが壊れてしまった。消耗品とは聞いていたものの、アップルケアの3年の保証期間経過後わずか半年とは・・・。で、iMacG5を「開腹」。それにしてもキレイな部品配置だ。右隅の黒いのが新しいハードディスクです。ヨドバシで5250円也。交換は簡単だった。


Mac OS X 10.4.11(タイガー)をインストール中。30分以上かかった。
取り出したハードディスクは、壊れていても見た目はきれいなまんま(当たり前か)。
高い消耗品だなあ。
もちろん、デスクトップはきれいさっぱり、気持ちいい。

2008年4月8日火曜日

車は本当に便利?


かつてはホンダ車を3台乗り継いだ。セダン、軽自動車、オープン2シーターと買い替えたが今は、というか家庭を持ってからは車を持たない生活を送っている。実際、車がないという生活がこんなにも身軽なものだとは思わなかった。維持費や保険などの金銭的な側面のことではなく、行動や思考に無駄がないのだ。しかもそれだけではない。

出かけるのは常に歩きか電車だから、まずよく歩く。歩くスピードだから景色がよく見えて季節の移ろいにも敏感になる。見知らぬ人とも接点ができるから自然とコミュニケーションも生まれる。写真も撮れる。落ちているマクドナルドの紙袋なんかも目に付くから、ハンバーガーを食っているやつにはロクなやつがいない、ということもわかる。

次に、郊外型のショッピングセンターにも行かなくなる。そういう店はもともと街の中心から離れた場所にあるし、広いパーキングがあるから、たとえ駐車するのに1時間かかるとしても車があると出かけてしまうのだ。そして、せっかく来たのだからとつい余計な散財をするのがオチである。そもそも車を所有するということは大量消費社会を支える主要なメンバーの仲間入りを果たすことにほかならないから、人はメディアが垂れ流す消費財情報を追いかけ続けることで「消費社会の同時代を生きている」という安心感を得ようとするのだ。かくして人は思考を止めたまま壮大な無駄使いの連鎖にはまるのである。
このあいだ読んだ「非属の才能」という本で、筆者がショッピングセンターを「定置網」と論じていたが、まさにイワシの群れの如く、何も考える間もなく網に絡め捕られていくのである。

この「群れ」から逃れられること一つとってもいいことではないか。
そしてなんといっても交通事故に遭う可能性がほとんどない。

といいことずくめなのだ。環境に負荷をかけないとか、そういうことはこの場合副産物に過ぎない。
こんなふうに考える人がどんどん増えれば、街や人の表情も変わっていくだろうなあ、と最近考えるのだ。

2008年4月6日日曜日

ご近所の春


多摩丘陵の里山が萌黄色に染まる季節がやってきた。


たくましい黄色がここにも。


わざわざ遠くに出かけなくても、絵になる風景はあるもんだ。


この頃は散り際の光景が好きだ。
すがすがしい週末だった。

2008年4月4日金曜日

駅の歳時記


朝、駅のホームで「ビリリリリリッ」という鳴き声を耳にし、見上げるとイワツバメの巣があった。
彼らを見かけるのは、毎年、必ず4月3日か4日なのだ。恐るべき正確さだ。
建設が始まった駅ビルが完成すると、飛び回る空間が減ってしまうのでちょっとかわいそうだな。

2008年4月2日水曜日

桜丘町の桜坂


渋谷駅近く、その名も桜丘町のソメイヨシノ。坂道と桜並木がマッチしてる。


昭和の面影も残る。


桜祭り、かな。ところで水木一郎ってあのマジンガーZの水木さん?

2008年4月1日火曜日

出合いの前にあるもの


いつの間にか春である。
年度末、期末などサラリーマンの節目とは縁遠い身分だと、季節の変わり目に突然気付かされることがある。足下の可憐なスミレの開花だったり、深夜の暴走バイクだったり、新聞の連載の交代だったり。

今日、息子の担任の保育園の先生が突然去って行った。事情があってのことだ。
息子を、というより子ども、保護者の誰に対しても精一杯の気遣いをしてくれる先生だった。今風の呼び方をするなら「プロフェッショナル」だった。

一つの仕事に身を捧げているからには皆「プロフェッショナル」のはずなのだが、巷間ではなんと「アマチュア」の多いことか。サービス業でありながら人を人とも思わない所作も珍しくない。人を前にして思考を放棄するのなら家から出てくるなと言いたい。

そんな中、本当のプロに出合うと、こちらもそれに精一杯応えたいと思うのだ。

別れは残念なことだが、その代わりにその胸に新しい出合いの予感があるから、人は歩き出していくのだろう。