2008年4月8日火曜日

車は本当に便利?


かつてはホンダ車を3台乗り継いだ。セダン、軽自動車、オープン2シーターと買い替えたが今は、というか家庭を持ってからは車を持たない生活を送っている。実際、車がないという生活がこんなにも身軽なものだとは思わなかった。維持費や保険などの金銭的な側面のことではなく、行動や思考に無駄がないのだ。しかもそれだけではない。

出かけるのは常に歩きか電車だから、まずよく歩く。歩くスピードだから景色がよく見えて季節の移ろいにも敏感になる。見知らぬ人とも接点ができるから自然とコミュニケーションも生まれる。写真も撮れる。落ちているマクドナルドの紙袋なんかも目に付くから、ハンバーガーを食っているやつにはロクなやつがいない、ということもわかる。

次に、郊外型のショッピングセンターにも行かなくなる。そういう店はもともと街の中心から離れた場所にあるし、広いパーキングがあるから、たとえ駐車するのに1時間かかるとしても車があると出かけてしまうのだ。そして、せっかく来たのだからとつい余計な散財をするのがオチである。そもそも車を所有するということは大量消費社会を支える主要なメンバーの仲間入りを果たすことにほかならないから、人はメディアが垂れ流す消費財情報を追いかけ続けることで「消費社会の同時代を生きている」という安心感を得ようとするのだ。かくして人は思考を止めたまま壮大な無駄使いの連鎖にはまるのである。
このあいだ読んだ「非属の才能」という本で、筆者がショッピングセンターを「定置網」と論じていたが、まさにイワシの群れの如く、何も考える間もなく網に絡め捕られていくのである。

この「群れ」から逃れられること一つとってもいいことではないか。
そしてなんといっても交通事故に遭う可能性がほとんどない。

といいことずくめなのだ。環境に負荷をかけないとか、そういうことはこの場合副産物に過ぎない。
こんなふうに考える人がどんどん増えれば、街や人の表情も変わっていくだろうなあ、と最近考えるのだ。

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