2008年2月25日月曜日

希望のゴール


約3カ月ぶりである。基本的に写真ブログなので、写真を撮らなければネタが得られないのである。写真もなく、ただ、それこそ日記のように書き綴っている人のブログを見ると感心してしまうのだ。女優の涼風真世さんのように毎朝の空模様をアップし続ける人もいるが。
2月17日、結局、東京マラソンに出場し、完走した。
結局というのは、1月に椎間板ヘルニアであることがわかり、このマラソンを走ることに対して医者から「それは君の趣味の問題だからね」となかば「脅され」迷い続けてきた末の決断という意味だ。リハビリと腹筋、背筋トレーニングを続け、本番一週間前に15キロ走を敢行し、痛みがないことで決めた。

晴天に恵まれたが、スタート時の気温は約4度。「東京メトロ」とロゴの入ったビニールのポンチョを被ったまま、飯田橋くらいまで走る。この最初の5キロは長い下りなのでペースが上がりやすい。曙橋付近でマラソン界のアイドル・千葉ちゃんとハイタッチするなど、気持ちがお祭り気分に傾くのをじっと堪えながらゆっくり日比谷付近までゆく。
10キロのゴールの日比谷公園を右に眺めながら内幸町のあたりまできたころ、お腹がじわじわ痛くなってきたのだった。トイレブースを3、4カ所見送り、ついに芝公園で列に並ぶ。

約5分のロスだ。最後にこのロスで悔しい思いをするとは。札の辻から品川の折り返しまでは少し長く感じた。やはり20キロのことはある。今回、ランナーズハイのの高揚感はそれほどでもなかったが、やはり少し飛ばしていたのだろう。一カ月ほとんど走っていなかったわりには、15〜20キロを25分台で走っている。これが銀座の少し手前でジワジワきた。早くも走るのがおっくうになってきている。日比谷の交差点を右折し、晴海通りへ。ギャラリーはどんどん増えてくるが、足は固くなってきた。そして空腹も感じてきた。銀座通り。お祭り騒ぎである。第一京浜や日比谷通りと違い、ギャラリーの距離が近いので、みんなの表情が目に入る。すると、結構熱心に声を出して不特定のランナーを応援している人が多いことがわかる。そんな人たちの声は全部自分のものにして、ただ足を動かす。バナナとカリフォルニアレーズンの塊を走りながら頬張る。

茅場町で永代通りを左折し、新大橋通りへ。なつかしの花王やぺんてるの本社ビルを左右に眺め、日本橋川を渡ると、また道が広くなったせいもあって、だんだんペースがおちてくる。正直、これから浅草に行ってまた戻ってこなきゃならないなんてしんどい気持ちだった。空腹も激しくなり、ポーチに入れておいたクッキーを走りながら食べる。ちなみに、ここまですべてのアミノバリューは補給している。

意外に早く雷門が見えてきた。ここで右折。そこには両側の歩道に大勢の人々、そして歓声の渦があった。まわりのランナーの口から思わず「スゲー!」の声が上がった。本当にすごかった。まさに花道なのである。この右のブロックが、交通規制で人の流れが遮断されているエリアのはずであったが、歩道は人で溢れている。

短い時間だが、人が人からパワーをもらうということを身をもって体験したのだった。

日本橋への折り返し。芸能人らしきランナーや、かぶりもので走るランナーなどがはっきり識別できるほど、だんだんランナーがばらけてきた。そしてペースもどんどん落ちてきている。日本橋〜築地の5キロは29分台後半だ。

再び新大橋通り、そして新富町からとうとう佃大橋への登りへ。坂のだいぶ手前からランナーが溜まっているのがわかる。この坂がまた妙な登りで、佃大橋の先で平坦路から再び登りになるのである。そして長い下りののち、再びの登り。豊洲の埠頭へ下りてくると、ほとんど足が動かない。というより足が伸びないという方があたっているだろう。まさに棒と化している感じだ。ここから先の道は、片側4車線以上。晴海の教習所で免許を取ったときの路上コースだが、景色が遠いせいでまったくスピード感がない。これは車でもランニングでも同じだった。ランニングの場合は精神的にもブレーキがかかってくるのだ。

高層マンションが林立する豊洲駅周辺から東雲団地の40キロ付近まではもう無の心境で足を動かす。この区間、何故か28分台後半と、微妙にアップしている。

いつの間にか近代的なビルや、ゆりかもめの高架が延びるエリアに入っていた。歩道のおじさんが「サブフォーだぞ!」と叫んでいる。本当だ、このままならそうだ、と腕時計を見て確認。いっぽう「あとたったの2キロだぞー!」正直、これはあまり聞きたくない応援だ。ここからは「たった」という言葉では片付けられない重みがある2キロちょっとなのだ。
そして、これまでのフルマラソンと同じく、まさにたどり着いたという感じのゴール。腰は鈍く痛んでいる。が、それだけだ。結果は自己ベストのたった2分遅れ。ああ、芝公園のトイレが〜。

これからも走り続けていいんだ、なによりそれがわかってホッとしたゴールなのであった。
来年も抽選にあたれば出たい。この感動はやはり10キロでは味わえないだろうなあ。でも1年に1回で十分だな。