2008年12月31日水曜日

大晦日


あっという間に大晦日となりました。
今年会えた人、仕事、すべてに感謝です。
一生の限られた時間のなかで、自分らしく、悔いのない一日一日を
生きなければと思います。

「おかげでいい仕事ができた」

「この人に逢えて本当によかった」

「父さんがいつも言ってたから、ぼくもそう思う」

そんなふうに思ってくれたら、ほかに何を望むのか。

2008年12月3日水曜日

週末


日曜日、いつものランニングコースを家族でのんびり歩いた。ランニング、といってもここのところ風邪を引きずっていてほとんど走っていない。東京マラソン2009の抽選に外れて直近に目標がない(モチベーションがあがらない)という単純な理由もあるのだが。


この時期の色彩はなんとも言えない。休みの日、朝、新聞を買いに行くのにもカメラが手放せなくなります。

井の頭線の新車


井の頭線の新しい車両に乗り合わせた。終点の渋谷に着いて、さて記念に1枚・・・と思ったら同じようにカメラを手にホームの端に向かう人の姿が・・・。

新しい電車は、本線の9000系以上に静かでした。でも、これってホーム進入時とかに危ないのでは。むしろ京急の「ドレミファ・インバーター」を見習って五感に響く安全性と楽しさを取り入れてほしいものです。それと、せっかく電車が静かになったんだから、ついでにあのおせっかいなアナウンスもなんとかしてほしい。

2008年11月27日木曜日

南大沢の秋


まだまだ紅葉。
これはスズカケノキ。


これもスズカケノキの葉。モノクロで撮っていると、光や形に敏感になります。
デジカメはモノクロモードにすると液晶モニターもモノクロ表示になってくれるのでイメージが湧くのです。


イチョウは葉と枝のコントラストが命。


マンサクの葉の微妙な色彩も今週限りかな。

2008年11月17日月曜日

永久設置


岡本太郎氏の巨大な壁画「明日の神話」が、JR渋谷駅と京王井の頭線の渋谷駅を結ぶ通路でお披露目されました。
この作品は岡本太郎氏が1968年からメキシコで制作に取り組んでいたもので、設置予定だったホテルが倒産後、30年もの間行方不明になっていたそうです。
一年をかけて修復が施され、このたびこの場所に永久設置されたのです。
まさにこの空間にふさわしい作品と言えます。


4階のフロアから銀座線へ向かう「中空」の通路からは、作品と同じ高さで鑑賞できます。
おもに女性が足を止めて見入っていました。

秋本番


紅葉が美しい毎年おなじみの光景です(首都大学)。
真っ赤なのはカエデの仲間のようです。
三寒四温を繰り返しながらもうすぐ12月です。


これはクリ。 黄葉する樹種があると明るい雰囲気になりますね。

2008年11月14日金曜日

根府川駅


仕事の下見で東海道本線の根府川駅にやってきました。
木造の駅舎の向こうに相模湾の水平線が見えます。


東海道という幹線なのにローカル線の風情が感じられます。


発車する下り電車。駅を出ると、かつて撮影名所だった白糸川橋梁を渡ります。

2008年11月4日火曜日

埋蔵金


多摩ニュータウンのとある古本屋さんで何冊かの本を買いました。
以下は店内でのこと。
タイトルを見て手にとった本をパラパラとめくると・・・。


千円札がこんにちは。
もちろん、引き抜いたりせず、このままレジへ。
古本屋で拾ったささやかな幸運でした。

ちなみにこの話を渋谷の古本屋さんで披露したら、
「うちは手紙や写真など大事なものが挟まってないか、買い取り時に確認するので、そのようなことはまずないでしょうネ」
とのこと。

2008年10月15日水曜日

最古の駅


鹿児島の続き。ここは肥薩線の嘉例川駅。築108年の駅は自分が出合った駅の中で最古です。駅舎だけでなく、辺りの雰囲気も最高でした。こんな駅が鹿児島空港の最寄りというのも面白いものです。


特急「はやとの風」はこの駅に約5分停車します。このカラーリングも水戸岡さんのもの。古豪然とした真っ黒な車体が、長い歴史を持つこの駅舎に似合っています。
ホームに降り立った夫婦が記念写真を撮っていました。

鹿児島へ


このあいだの出張の続きです。
せっかくだからと、2泊目の宿は鹿児島市内としました。駅前の駐車場にレンタカーを置いて九州新幹線を見学。この800系は6月に取材した水戸岡さんの作品。やっぱり新幹線のなかで一番カッコいい!


鹿児島中央の駅前から市電に乗って天文館へ。なんと軌道敷に芝が生えてました!


鹿児島市随一の繁華街・天文館界隈を散歩しました。繁華街といっても素朴な風情にあふれた店がたくさん。裏通りの個人店もいいセンスでした。
ふらりと入った洋食屋さんのハンバーグが絶品でした。そういえばハンバーグを注文してペッタン、ペッタンこねてる音を聞いたのも久しぶりだった気がします。

2008年10月10日金曜日

肥薩線へ


九州の肥薩線を見に行ってきました。ここは熊本県人吉市。球磨川に架かる第二橋梁はアメリカ製。日本が自前で鉄橋が造れなかった時代の近代化遺産です。

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スイッチバックとループ線で有名な大畑駅です。周りに人家もない山中にたたずむ駅です。全席指定の観光列車「いさぶろう・しんぺい号」は、ここに5分停車します。そのわずかな停車時間に乗客がホームや駅舎を見物していきます。


「いさぶろう・しんぺい号」の車両の特徴は、この車両の真ん中の大きな窓。デザイナーの水戸岡さんの作品です。


ここはかつて肥薩線の栗野と水俣を結んでいた山野線という廃線の最大の見所、ループ線です。この築堤(?)は人工物だそうです。

2008年10月4日土曜日

41歳になりました


10月なのに日射しはまだ強め。花があるとチョウがやってきます。これはツマグロヒョウモン(のはず)。


イナゴの数も昔に比べて減った気がします。10月だというのにアブラゼミの声が・・・。来年まで待てなかったのでしょう。まだかろうじて夏日が続きそうですが、さすがにセミにとっては秋の夜は寒いでしょう。

いくつになっても虫の姿が気になります。たぶん、20年、30年後も同じでしょう。

2008年9月14日日曜日

初秋の長池公園


久しぶりに長池公園に出かけた。すでにあちこちで色づき始めたムラサキシキブ。


芝生で昼ご飯を食べていたらクルマバッタモドキが現れた。網で捕まえたあと手乗りにして撮影。

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広い姿池のほとりで息子とトンボを追う。といっても網は自分の手中。
シオカラトンボ、ギンヤンマ、コノシメトンボがいた。警戒心の強いギンヤンマは触れることすらできず無念。

なぜ近視眼的報道が蔓延するのか?


新聞のコラムで、温暖化対策として期待されているとされるバイオエタノールについて論じられていた。バイオエタノールを燃やして排出されるCO2は、植物がその生育過程で吸収したものであるから新たなCO2排出量はゼロとなる、とのいわゆる「カーボン・オフセット」という考え方が紹介されていたのだが、これはとんでもない「理論」である。

バイオエタノールの原料となるトウモロコシやサトウキビなどの作物を育てるには、他の農作物と同じように石油を燃やしてトラクターを動かし、石油から作られた農薬を使い、収穫した作物を自動車で工場へ運び、これまたエネルギーを使って稼働する化学プラントを経てやっとバイオエタノールができるのである。

環境問題とはトータルな目で検証されるべきなのは論を待たない。

環境問題に限らず、あらゆる問題を読者に対して多角的に論じるべき新聞がこのような近視眼でいいのだろうか。文中に「バイオエタノールを温暖化対策として位置づけるにはどうしたらいいか」とあったが、まずこの致命的な焦点のズレを認識しなければ、「バイオエタノールの燃焼により発生したCO2は、排出量にカウントしない」(京都議定書)という「詭弁」の矛盾に気づくことも難しいと言わざるを得ない。

2008年9月10日水曜日

渋谷駅から東へ


仕事も一段落したので、ランチで遠征しました(といっても南平台からみて渋谷駅の反対側ですが)。
昨日書いた金王八幡宮がありました。この都心にあって、鎮守の杜を従えた立派な古刹でした。


渋谷のこのあたりには、かつて御料牧場があったそうです。
カラッとした天気が続きます。こんな日は、多少暑くてもずっと歩きまわっていたくなります。

2008年9月9日火曜日

金王八幡宮の例祭


道玄坂のケヤキ並木に、今年も祭りを知らせる幕がかかっている。
金王(こんのう)八幡宮の例祭と書いてある。調べてみると、渋谷警察署の裏にある神社だった。金王とは、かつて源義家とその嫡男・頼朝に仕えた金王丸のことで、境内には奥州征伐から戻った頼朝が、すでに亡くなっていた金王丸のために鎌倉から移植したと伝えられる桜の名木が残っているという。
今週末には109(イチマルキュウ)前で神輿の渡御があるとのこと。
道玄坂上から見て反対の坂の上にそんな物語が眠っていたとは知らなかった。

2008年8月25日月曜日

アオマツムシ


夜、部屋に侵入してきたアオマツムシ。
よく樹上から聞こえる「リュー、リュー、リュー」という声の主です。
残念ながら部屋の中では鳴いてくれませんでした。
撮影後、外にお帰りになりました。

2008年7月29日火曜日

冒険者・三浦さん


取材の最後を飾る人物・三浦雄一郎さんに会った。二ヶ月前に75歳にして世界最高峰を極めた人だ。 
5歳からスキーを履いて八甲田山を滑り、小学4年では東北大の山岳部員とともに冬の蔵王を縦走、と冒険者の「履歴」の始まりはさすがに早い。
何が三浦さんを冒険に駆り立てるのかと愚問を投げると、
「スキーでエベレストから滑降、世界の高峰制覇、ダイビング・・・、好奇心を抱くのはその冒険のひとつひとつではなく、それにチャレンジしている自分です。興味を引かれる未知なる存在はほかでもない自分自身なんです」
との至言。
心底共感したのだった。
尊敬する人物に出会えた。

2008年7月27日日曜日

三浦へ


三浦半島をぐるっとドライブしました。
この時期はやっぱりこれですね。
ん? まぐろも?


スイカ畑の中の曲がりくねった道と、丘の向こうに見えるかすんだ海。
この辺は三浦半島で気に入っている場所のひとつです。
のどかなスイカ直売の店でした。
看板の下には海が見えているんですが・・・。

2008年7月15日火曜日

清里へ行ってきました


週末、久しぶりに家族で八ヶ岳山麓に行ってきました。
これは昼ごはんで入った富士見町のパン屋さん「ぱん・パ・パン」の庭にあったスグリの実です。


清泉寮がこんなに趣ある宿だとは知りませんでした。冬は暖炉に火が灯るそうです。


朝6時前、玄関の扉の鍵はすでに外されていました。カメラを持ってしばし至高のひととき。


高原の朝の光は最高の演出装置です。


八ヶ岳の主峰・赤岳もすっくと聳えていました。


野辺山の滝沢牧場も23年ぶりです。引き馬があったり、乳搾り体験ができたり、ソフトクリームが食べられたり、となんの特徴もない、何のウリもない観光牧場ですが、つぶれてないということはそれなりにこの「ゆるさ」が受けているのでしょう。


牧場の建物の屋根の上で、ツバメの親子がおしゃべりをしていました。

2008年7月9日水曜日

田部井淳子さん


昨日は東京駅近くのホテルで登山家の田部井淳子さんに取材。田部井さんが講演先の名古屋から新幹線で到着するのを待ってからの取材予定だったが、新幹線が事故で遅れ、午後8時スタートとなってしまった。

今年69歳になる田部井さんは女性初のエベレスト登頂者だ(1975年登頂)。世界の7大陸最高峰も制覇している。

話は小4のとき、学校の先生に連れていってもらった那須で山に魅せられたこと、故郷の福島・三春町から東京に出てきて福島訛りから強烈なコンプレックスに悩んだこと、もともと体が弱かったからこそ感覚を研ぎすませて山に取り組んでこれたことなど、登山家としてのルーツに絞って聞いた。

「山に登る人は、ピークだけでなく、もっとふもとや縦走を楽しんで欲しい」

国内外のいろんな山を登ってきた田部井さんならではの言葉が印象的だった。
丸の内ホテルのシガーバーで隣にいたお客さんには普通のおばさんにしか見えなかっただろうな(どうみても普通のおばさんだが)。

温暖化狂想曲の墓標が建つ日


洞爺湖サミットで「温室効果ガスを50年で半減」させるよう「目標を共有」するとの宣言案がでたらしい。今週の新聞広告、テレビ番組などは「CO2削減」のコピーのオンパレードだ。経済界のアナリストも、温室効果ガスの排出量取引でいかに国益を守るか、などと論じている。どっぷりつかっている。舞台も客席も酔いしれている。政府も、企業も、メディアも皆同じ方を向いている。

どこかおかしい。

京都議定書をはじめとする温暖化ガス削減の意義は、人間の活動で生じた温室効果ガスが気候の温暖化の要因だと断言できる場合にのみ成立する。では、もしそうでなかったら? 人類が残念ながら英知を結集できず、これからどんどん温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、窒素など)を排出させたにもかかわらず地球が寒冷化していったとしたら、人類の存在に関係なく地球という惑星の内的あるいは外的要因で気候が変動しているのだとしたら・・・。そのとき誰が責任を負うのだろう。日本が排出量取引などのために毎年負担している1兆円もの金の費用対効果はどうなるのだろう。
「そんなことが言われてた時代もあったなあ」で済むのだろうか。

恐ろしいことである。

2008年7月6日日曜日

トトロ、あるいは平成狸合戦ぽんぽこの風景


先日、行きつけの床屋さんで教えてもらった「トトロが住んでいそうな」風景と、そこにあるという水車を確かめに、息子と自転車で近所の谷戸を目指しました。
床屋から時間にして3分ほどでこの景色です。向こうに我が家があるニュータウンの建物が見えます。ほんの30年くらい前までは、このあたりはどこもこんな風景だったのでしょう。そんな事を想像しながら散歩するのにいい場所です。ちなみに白いブルーバードが見えますが、物置のようです。それにしても暑かったー。汗ダラダラでした。


谷戸の道をどんどん自転車で登っていくと、あった! 確かに水車だ。結構立派。でも稼働していませんでした。
この道の先には「ひな鳥山」という飲食店があります。八王子の郷土史家・清水正之氏の本によれば、かつて多摩丘陵には野鳥料理を出す店が多かったそうです。戦後すぐ、京王帝都電鉄(当時)が都心からのレジャー客を呼ぶために近くの野猿峠のハイキングコースをPRしたそうですが、今でもそんな観光客で賑わったであろう野鳥料理の店がいくつか営業を続けているようです。