2012年7月31日火曜日

夏本番

まだ体が乾ききっていないニイニイゼミ
天候も安定して全国的に夏本番といった感じです。加えてロンドンオリンピックのニュースが暑さ(熱さ?)を増幅させているかのようです。
街路樹では昨年まであまり見かけなかったニイニイゼミの姿が今年は目立っているような気がします。南大沢だけの印象ですが。
 夕方、猛暑のなか久しぶりに平日ランを敢行。汗だくだけど体調はいいので全然バテませんでした。小山内裏公園の山の中の樹液ポイントを走りながらチェックしていたら、いつもは誰にも遇わない場所に虫捕りの母子が。あのポイントで虫捕りをするとは結構通な親子です。尾根緑道では相変わらず10メートルおきに交尾中のシデムシの姿があり、踏まないように下ばかり見て走りました。

2012年7月29日日曜日

レコード歌謡の記憶

打ち上げ後の二次会で新宿のゴールデン街に初めて足を運びました。実はゴールデン街の場所自体定かでなかったのですが、青梅街道の新宿区役所前交差点から延びる旧都電の引き込み線跡がまさにその「参道」の役目を果たしているのでした。
 小さな店がぎっしり並んだ木造2階建ての長屋造り、だったかな。その2階に目指すレコード酒場がありました。
 5人掛けのソファとカウンターだけの店内。カウンターの上には数十センチの高さに積まれたEP盤のレコードが。店の主人にリクエストをすると、その何百枚というレコードの中からお望みの盤をサッと抜き出してかけてくれる仕組みです。僕は思わず松田聖子の「夏の扉」をリクエストしてしまいました。
 この伝統の「仕組み」はよくできたシステムだと思います。自分にとって懐かしい歌謡曲の世界にフルコーラスで、居合わせた人たちと浸れるのですから。しかもBOSEのスピーカーから流れる音量はカーステレオのフルボリュームに近いものです。自宅で同じことをするのはまず難しいでしょう。
 カラオケと似ているようで違うのは下手な歌を聴かせたり聴かされたりすることなく、同世代に近い人なら誰もが記憶のどこかにあるオリジナルの音源で「タイムトリップ」できるということです。
 わずか1時間ほどの滞在だったのですが、僕がほかにリクエストした「南回帰線」(堀内孝雄と滝ともはる)、「私鉄沿線」(野口五郎)、「面影」(Gメン75のエンディングソング、島崎由理)はすんなりかけてもらえました。こういう皆で共有できる歌謡曲っていいなあ、と思う反面、今時の趣向が細分化した歌謡界(ミュージックシーン?)の楽曲で将来同じ仕組みが通用するのだろうか、と思わずにいられませんでした。

2012年7月26日木曜日

公共の空間こそ最高のデザインを

ミストシャワーの向こうには樹木が見える
博多駅前のタクシー乗り場の屋根にはミストシャワーが設置されています(昨年撮った写真です)。まさに猛暑の今にぴったりで、眼鏡をかけたままでも気にならず、しばらく涼んでいたくなります。
著者の一志治夫さんの文がいいです
このJR博多シティという駅ビルのあらゆる部分のデザインを担当したのが、九州新幹線のデザイナーとして知られる水戸岡鋭治さんです。
その水戸岡さんの生きざまを徹底取材した本がプレジデント社から出ました。付き合いのあるカメラマンの川井さんが口絵写真を提供しています。
 この本に書かれていたのですが、このJR博多シティの駅ビルの前に樹木を配することに、当初福岡市などは反対していたそうです。駅前に木などいらないと。そこで水戸岡さんはJR九州の唐池社長に植物学者・宮脇昭の本を送り、説得してしまいます。
 僕は幸運にも仕事で水戸岡さんに二、三度お会いしています。のべ5時間近く話を伺ったなかで、水戸岡さんが何度も繰り返し言っていたのが「駅や列車などの公共の空間こそ最高のデザインを採用すべき」ということでした。人は最高のものを目にし、居心地のいい環境にいることで豊かな感性やマナーが育まれる、と。この本の冒頭で水戸岡さんがリニューアルに関わった富士急行の富士山駅(元・富士吉田駅)のことが出てきます。 改築前の駅を見て水戸岡さんが富士急の社員に言ったのが「ここに貼ってある張り紙は全部取ってください。どうして必要なのか、なぜその色なのか説明できないものは駄目です」。水戸岡さんは富士山という最高の借景がありながら、それを冒涜するかのように駅に溢れた猥雑な看板やポスターを何とかしたかったのだといいます。駅という公共の空間がもつ役割をはっきりと認識しているのです。
 水戸岡さんが言っていることは何も特別なことではないと思います。与えられた状況で最高のものを追求するというのは、本気で仕事をする人間なら必ず意識すること。帯に書かれた「なぜ、九州の鉄道だけがあんなにもかっこいいんだろう」というコピーは大げさでもなんでもないのです。来年デビューするJR九州のクルージングトレイン「ななつ星」は、水戸岡さんのJR九州との仕事の集大成と言われる。実車の発表が楽しみです。

2012年7月25日水曜日

三崎さんぽ

鮮魚&食事処「まるいち」の店先に並ぶうるめいわし
子供たちと三浦半島に泊まりがけで行ってきました。宿は油壺の観潮荘。古い宿なので内装はかなり傷んでますが、そういうところが気にならない人には30〜40年前の家族旅行の雰囲気が味わえていいのでは。
昼ご飯は三崎の街へ。駐車場に車をおいて歩き出すと、港町・三崎の懐かしい雰囲気がすっかり気に入りました。
  本瑞寺への石段を登り切ると、城ヶ島がすぐ目の前です。三浦市のサイトによれば、この寺は源頼朝の別荘だった由緒ある場所とのことです。
  街のあちこちにこんな土蔵が見られます。土蔵を改装した焼きものの店には若いオーナーの姿もありました。













  海南神社は三浦の鎮守さま。境内には樹齢800年以上という銀杏の巨木が聳えています。この大銀杏は源頼朝お手植えによるものと伝わるそうです。帰り際、境内の池でカワセミを発見!こんな場所で遇えるとは。

  あちこちに港町らしい風情が漂っていて、カメラ散歩に最適です。猫の姿も見かけました。
喫茶バロン、入ってみたいです。
  よくテレビの旅番組に登場する三崎館は三崎港に面して立っています。木造の建物が目を引きます。
明治41年創業の老舗旅館ですが、素泊まりや食事のみにも対応しているそうです。大きな看板には、三崎館が商標登録しているという鮪のかぶと焼きの巨大なイラストが描かれています。

若いオーナーのおしゃれな店が目立ちます。昭和の風情漂う街並みとカラフルで手作り感いっぱいの商品の色彩がマッチしていました。
帰路、浦賀水道を望むすいか屋さんでお土産のすいかを買って帰りました。スイカ畑に囲まれた気持ちのいい立地のお店です。おばさんは数年ぶりに訪れた僕たちを覚えていてくれたようで、試食用にメロンやスイカを山ほどご馳走してくれました。

2012年7月24日火曜日

ぐんま昆虫の森へ


ウシガエルを見つけて興奮の子供たち
  22日土曜日、群馬県桐生市にある、県立ぐんま昆虫の森という施設に出かけてきました。約36ヘクタールという広大な里山の環境で昆虫などを観察できる 贅沢なところです。
 23℃という肌寒いくらいの気温で、しかも4時間ほどの滞在でしたが、クワガタ、トンボ、バッタ、チョウなどあらゆる昆虫に出合えました。
 このツアーは日野自動車グリーンファンドという財団が主宰しているもので、近所に住む大学教授夫妻に教えてもらって参加したというわけです。
 いちばんのお楽しみはガイドと一緒に園内を回るガイドツアー。バードウオッチングと同じで、よく知った人と観察するといろんな生き物を見つけられます。ショウリョウバッタに茶色と緑色がある理由は育った環境のせい、なんてこともその場で教えてもらえてスッキリ!

これがあのオニヤンマ? うつくしい
沼のほとりに気配を感じてよく観ると、なんとオニヤンマの羽化シーンが展開していました。見慣れたアキアカネやシオカラトンボのヤゴとは桁違いの大きさの抜け殻と、そこにつかまって羽を伸ばしているオニヤンマの成虫。みずみずしい姿に見入ってしまいました。すぐそばにもう1匹、オニヤンマのヤゴがスタンバイしていました。
 しかし、水面からこの場所まで3メートル以上はあります。ヤゴってセミの終齢幼虫並みに歩くんですね。
昆虫好きにとって憧れの矢島先生が目の前に
ツアーのあとはミュージアム本館で矢島稔園長への質問タイム。テレビ番組やラジオの子供相談でもおなじみの矢島先生が、どんな質問にも丁寧に答えてくれました。子供に交じって僕もマイクを握り、カブトムシの幼虫が死んでしまった原因について質問しました。やっぱり原因はアリの侵入でした。
 実はたぶんアリではという予断をもって僕は質問したのですが、先生はケースや土の深さなどの飼育状況をきちんと僕に確認したうえで答えていました。
 正直に言ってだいぶお年を召した印象の先生でしたが、皆の質問にユーモアを交え丁寧に答えていたのが印象的でした。
「小さなことを見逃さないように注意して観察してみてください」。
矢島先生が強調していたのは観察者としてのファーブルと同じ姿勢でした。

2012年7月21日土曜日

保存鉄道に乗ろう

小学館から鉄道もののムック「保存鉄道に乗ろう」が発売されました。遊覧鉄道などの原稿執筆を担当しました。
表紙は北海道の丸瀬布いこいの森の森林鉄道です。昨年、編集をお手伝いした「人気列車で行こう」のリメイクページもあります。ぜひお買い求めの上、この夏は小さな鉄道の旅へお出かけください。1700円です。

2012年7月19日木曜日

不作為の色

鹿児島本線折尾駅
書店を定点観測していると、最近気になるのがマイナビなどが出している撮影マニュアル本だ。撮影の基本、レンズ、被写体別、使用するカメラ別と、よくまあ企画にGOがでるものだというくらいに粗製乱造、いや、続々と出版されている。
 そこでどうしても気になるのは本のテーマではなく、掲載されている写真の色だ。 デジタル特有の、というのだろうか、どの写真もメリハリがなく、例によって緑や肌の発色が「破綻」している。でも、色校正の作業を経ていないわけはないだろうから、版元はこの色でいいのだろう。しかし、これは堅苦しく言えば写真の技法書である。これでいいのだろうか。これらの本のなかには初心者向けばかりでなく、ライティングを詳述するセミプロ向けのものもある。
 最近写真雑誌の一派を形成しているのが、いわゆる「カメラ女子」ものだ(このナントカ女子というネーミングも発想が安易で好きでないが)。「彼女たち」はカラーネガの発色の虜になっているようで、その色合いや撮影対象を身近な小物や人物に設定して楽しむことに主眼を置くなど、明確なポリシーが存在しているように感じる。色に関してもネガフィルムの特性通り「ラチチュード」(許容範囲)が広いようであり、あえてその発色を想定して楽しんでいるのがわかる。
 ちなみに自分もその発色をイメージしながらときどきフィルムをキャノンNewF−1に詰めて撮影を楽しんでいる。
 いっぽう、既存の、というかマジョリティーな写真趣味人と版元の編集者たちは、毎月発行されるカメラ雑誌をはじめとする多種多様なメディアにおいて最新のカメラの使用レポートで僅かな色設定の違いやレンズの色収差、メーカー別の肌色の発色の違い、などを事細かに確認しながらカメラ学を習得しているわりには刷り上がった本の写真の色がメチャクチャということを繰り返している。
 デジタル写真データの印刷には、いわゆる「カラーマッチング」というハードルが存在するのはわかっている。デジタル写真のデータはRGBだが、印刷はCMYKだから調整が必要ということだ。問題はこれだけデジカメが普及し、印刷にまわるほとんどの画像がフィルムでなくデータに置き換わって久しいというのにこの肝心の部分が進歩していないという点である。いや、正しくはミスマッチが問題として意識されていない「不作為」というべきか。もちろん、一部の媒体にはきちんとマッチングが為されたものもある。
 編集者としての自戒も込めて思うのだが、写真の色をおろそかにした書籍や雑誌は、どんなにその構成、文が秀逸だったとしても三流と見られて仕方ないと知るべきだ。 フィルムからしっかりと分解された写真の滑らかな階調と深い陰影を見るたびにそう思う。

矢島稔先生

真夏の日差しは下町の路地裏にも
夕方、学童保育所に息子を迎えに行った。たまたま同じ時間に迎えに来た息子の友達の母親と話しながら歩き出すと、蒸し暑い夏空にアキアカネがたくさん舞っているのに気付いた。このところの猛暑で一斉に羽化したのだろう。
 ふと遊歩道脇の池のあたりを見ると、白人の女性が大きな補虫網を振り回している。 近づいてみると、息子と同じ学校に通うロシア人の男の子の母親だった。息子の友達はその大きな網を奪い、無駄のない動きでトンボを追っている。それにしても大きな網だ。研究者が使うような代物ではないだろうか。挨拶代わりにそれを母親に尋ねたが、笑ってごまかされてしまった。
 今週末は、近所の人の誘いで群馬にある昆虫観察施設「ぐんま昆虫の森」に息子と行くことになっている。そこの園長をされているのは、昆虫学者の矢島稔先生だ。
 僕が矢島さんを知ったのは、小学2、3年のとき、学研のジュニアチャンピオンシリーズ「ペットを飼おう」という本を入手したときだ(なつかしい〜)。矢島さんは当時、上野動物園水族館の館長で、その本の魚のページのとびらに眼鏡をかけた姿の写真が載っていたのを覚えている。僕はその本でいろいろな生き物の飼い方や、たとえ飼育することがなくてもさまざまな生き物の生態を知ったのだ。
 矢島さんはその後、多摩動物公園の園長、東京動物園協会理事長などを歴任されている。テレビの動物を扱ったクイズ番組で解説する姿を見たこともあった。また、これは偶然だが、妻は大学の授業で矢島さんの教える授業を受けていたことがあったという。何かご縁を感じざるを得ない。よし、うちのカブトムシの幼虫がサナギになった2匹を残して死んでしまった原因をぜひともたずねてみよう。
 今週末から子供たちは夏休み。夜の雑木林探索で、今年こそリアル・ノコギリクワガタ(オス)をゲットしなければ!

2012年7月17日火曜日

夏の夕暮れ

昨日の夕焼けはすごかったです。そろそろと思っていたら、今日関東に梅雨明け宣言が出されました。さあ、この夏が正念場!

2012年7月15日日曜日

九州の鉄道

博多駅に停車中の883系特急「ソニック」
九州が大変なことになっている。広範囲にわたってものすごい量の降雨が続いている。集中豪雨などというレベルではない。肥薩線の「SL人吉」や久大本線の「ゆふいんの森」などの人気列車は大丈夫だろうか。
 JR九州は来年から「クルージングトレイン」を走らせる予定だ。列車デザイナーの水戸岡鋭治さんが総監修した九州一周豪華寝台列車計画がまさに完成目前なのだが、この豪雨の被害が影響を及ぼさないか心配だ。
 九州の鉄道はこれまでも幾多の豪雨災害を経験してきた。肥薩線の真幸(まさき)駅は昭和47年に豪雨による土砂崩れで駅が集落ごと流されてしまったし、 平成5年には錦江湾に面した鹿児島本線の竜ヶ水駅が土石流に襲われた。このときの乗務員が独自の現場判断で奇跡的に乗客を避難させたエピソードは、NHKの「プロジェクトX」でも取り上げられた。
 豪雨だけでなく、九州は台風、火山の噴火などの災害との戦いが宿命付けられた土地だ。その荒々しい気候風土が旅を魅力的なものにしてくれるともいえる。水戸岡さんがかつてデザインした883系「ソニック」はエクステリアもさることながらミッキーマウスの耳のような座席のヘッドレストの意匠が異彩を放っていた。身近にこんな列車が走っている九州人がうらやましい。
 水戸岡さんが「JR九州との最後の仕事」と公言する「クルージングトレイン」の完成が待ち遠しい。

2012年7月14日土曜日

コナラの樹液

近所の公園、というか公園に隣接する山に、一本のコナラの木がある。コナラには珍しく樹液がドクドクと出ている。いつも30匹以上のカナブンが群がっているようだ。これに気付いたのが6月はじめ。必ずやクワガタが来ると見込んで何度もチェックしているが今日もカナブンがブンブンと幹の周りを飛び、樹液の漏れ出すポイントで蠢いていた。やっぱり懐中電灯を持って夜に来ないとだめだろうか。
 こうした「樹液ポイント」はカブトムシやクワガタを狙う近所の親子なら皆チェックしているもの。たいてい昼間にチェックし、夜、ふたたび意気込んでやってくる。なかには「バナナトラップ」という人工のエサ場を設置して狙った虫をおびき寄せる作戦もある。でも、コナラやクヌギの樹液の味には勝てないらしい。漏れ出た樹液が少しずつ発酵するときの甘酸っぱい香りが多くの虫を誘うのだという。
 最近知ったのだが、コナラやクヌギの幹に傷を付けるのはカミキリムシやボクトウガというガの幼虫らしい。 手っ取り早く樹液を出させるなら人間が幹にキリでも突き立てればよさそうなものだが、そういう「傷」はすぐに塞がってしまうのだそうだ。いっぽう、虫に傷つけられた樹木の方もやられっぱなしではなく、だいたいひと月もすれば傷を修復してしまうとのこと。
 この「森の酒場」には甲虫類のほかに、ヒカゲチョウ、スズメバチ、ショウジョウバエ、ゴキブリ類もやってくる。そしてそれらを見にくる僕ら人間も実はけっこうな人数なのだろう。

当事者は今なにを

JR博多シティ屋上から夕景を望む
メディアではこのところ思い出したようにいじめの問題を取り上げている。滋賀県の件の中学校であったとされる「いじめ」の具体的な所業が漏れ伝わってきている。いっぽう、連日の報道でカメラの前に登場するのは、なぜか当地の教育委員会の幹部の面々だけだ。校長や担任の教師、「いじめ」に関わったとされる生徒、いわば当事者のコメントなどが報じられることはない。
 これっておかしくないだろうか。
 報道されている「いじめ」が事実なら、これはもう「いじめ」ではなく犯罪である。警察も初動段階で被害者の生徒の両親の訴えに耳を貸さなかった負い目を感じてか、「この種の事案にしては異例」という家宅捜索に踏み切った。でも、前述の教育委員会のトップ、つまり教育長は会見のたびに「いじめは確認できない」という言葉を繰り返すだけだ。
 今日、たまたま地域の学校教育の現場に詳しい人と話す機会があった。その人によれば、学校の校長(の職責)というのはチェーン店の店長代理と同等であるという。対外的に発信される情報はすべて本部、つまり教育委員会発のものであるらしい。したがって校長自身の見解や独自の判断が反映されることはないというのである。たしかに昨年、息子が通う学校の運営に関するアンケートで放射線量について校長の見解を質したところ、数ヶ月後に示された回答は「市のホームページに掲載されているデータを参照ください」という官製のものだった。
 捜査は教師への任意の聞き取りに及んでいるそうだが、教師は真実をありのままに明かしてほしい。何人もの生徒が事態を目撃して事情を把握していると思われる。良心のかけらがあるなら、彼らに対して現場の教師は口をつぐむことはできないはずだ。そして今後は捜査がこの事件の核心、つまり「いじめ」に関わった生徒に向かうのか注視していきたい。

2012年7月12日木曜日

緊張感

ブログを書いているときにこれまで感じていた違和感。
それが最近自分でようやくわかってきた。
ブログには字数制限がないのだ。
何をどれくらいの文字数で書けばいいか。
オーバーしたらどこを削ればいいか。
どんな要素を生かして、何をそぎ落とせばいいのか。
ブログにはそのものさしがないのだ。ツイッターには140字という絶妙な枠がある。
だからだろうか、書いているときの緊張感がない。
したがって、夜、書いていて眠くなる。
途中で書く意欲が削がれてしまい、あとで読むと何を言いたかったのかわからない文面になっていることもある。
しょせん日記というか備忘録のようなものであるから、言葉や言い回しもとりたてて吟味しないし、読んでいる人の顔もイメージしにくい。

緊張感という意味では写真で言うデジタルと銀塩の違いにもちょっと似ている気がする。
枚数という縛りのないデジタル撮影では、フレーミングもそこそこに安易にシャッターを切りがちだ。

編集や執筆の仕事をしていれば常に字数の2文字がつきまとう。最初にそれを確認することで何を書けばいいのかがはっきりするのだ。外神田の裏路地で見つけたこの変わった自転車のことを説明するのに100字と1000字では書き出しからまったく違う内容になるだろう。もし3000字もあれば後ろのレンガの建物のことも説明が必要になってくるはずだ。
最近売れている新書のタイトルではないけど、与えられた場所で、環境で腰を据えることによって力が発揮できるのが人間なのではないか。

それとも、そんなことを言っていてはWEB時代で生き残っていけないのだろうか。
今回は字数も多めだしこのへんで終わらせようか・・・。

ふるさと

 
葛飾区お花茶屋。自分が生まれ、10才まで育った街だ。
ふと訪ねてみたくなり、上野公園地下の上野駅から京成電車に乗った。
記憶が確かなら、1994年に訪ねて以来。でもそのときは車でさっと来て元の自宅周辺を歩いただけだから、街としてはほぼ35年ぶりになる。

「プロムナードお花茶屋」と書かれたゲートが確かに建っている。この雰囲気は変わっていない。左の建物はたしか太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)だったはずだ。
コンビニやチェーン店があることを除けば、昔のままの雰囲気だ。
覚えてはいないが、店先でかき氷を売る甘味屋や、製麺屋なんかがあって下町そのもの。
でも、「太陽にほえろ!」のサントラを買ったレコード屋さんがなくなっていた。 

 初めてザリガニ釣りをしたお花茶屋公園の池はずいぶん昔に埋められていたことは知っていたが、あらためて訪ねると当時公園を囲んでいた樹木はそのままだった。ここの隣の広場は夏には盆踊り会場になったものだ。今もそうなのかな。

商店街なかほどのパン屋さんを訪ねた。小4の同級生の女の子の実家だ。
当時とだいぶ雰囲気は変わったが手作りのおいしそうなパンが並んでいる。
彼女の母親らしきおばさんが店番をしていた。
最初は怪訝な表情だったが、僕が次々に繰り出す「記憶のなかの固有名詞」に圧倒されたのか、途中から遠くを見るような目になった。
茨城に嫁いだという彼女には大学生の子供がいるという。
髪が短くてボーイッシュだった彼女が、僕が転校するとき「がんばれよ」と肩をたたいてくれたことをハッキリ覚えている。
ちょうど昼時でお腹が空いていたので店内に並べられているパンをトレーにのせて会計をしようとすると、おばさんが飲み物とパンをさらにおまけしてくれて嬉しかった。

 通っていた上千葉小学校から通学路を逆にたどった。
なんと正面にスカイツリーが聳えている。
そして右側に懐かしい銭湯「美吉湯」が現れた。
まだ銭湯が健在だったなんて。
当時の家には風呂がなかったから、文字通りここが「うちの風呂」だったのだ。
煙突からたなびく煙を見て何故かホッと和んでしまった。

 さらに歩いてついに元の自宅跡に。
なんと50年以上?前に建った家がちゃんと残っている。
しかも今も人が住んでいる。
自転車を駐めていた細い通路、小さなベランダ、左右の家も当時のまま。
奥へ歩いて行きたい衝動に駆られたが、ドアに貼られた「猛犬に注意」のプレートに意を削がれた。シャッターを切ってしばらくこの小さな風景を目に焼き付けてからまた歩き始めた。

当時、近所の仲間と野球(といってもプラスチックのバットと軟らかいボールでやる遊び)をやった駐車場がほぼ昔の雰囲気を留めていて驚いた。狭いなー。よく奥の家の敷地にボールを取りに行ったっけ。


いちばん驚いたのがこの家。
家からいちばん近かった駄菓子屋だった。
小上がりのような石を登って、髪を大きく結ったおばあさんから御菓子を買ったものだ。
コカ・コーラの販売機があって、初めてその味を知ったのも確かここだ。
缶のコーラは販売機で70円、500の瓶は自分で冷蔵ケースから引き抜いておばあさんに110円を渡した。「電子ルーレット」?や、10円玉そのものをコマにして弾くゲームもあった。
そばにいたおばさんに聞くと、駄菓子屋さんを経営していたおばあさんはだいぶ前に亡くなり、今は子息が管理しているのだとわかった。
この家もあと何年残っているだろうか。
いろんなアングルから撮って思い出に別れを告げた。


 京成の懐かしい踏切にたどり着いた。
ここにあった自動車修理工場はなくなっていた。
昔、僕はここでとんでもないことをして、そのとんでもないことの一部始終を見ていたここのおじさんに叱られたのだ。
ほどなく警報機が鳴り出し、最新鋭の特急「スカイライナー」が、そんな僕の感傷を吹き飛ばすように猛スピードで駆け抜けていった。


帰路に着くため駅に戻った。
ホームの柱には行商専用車の標示が健在だ。
車両はピカピカになり、4両編成ではなくなってしまったが、こんなところに京成らしさが残っていた。

上野の山から不忍池の弁財天を見下ろす。
じっとりと湿った熱風が木陰にいる僕の頬をなでた。

2012年7月7日土曜日

声のなかで

原発の再稼働反対の意志表示が、毎週末に首相官邸の前で行われている。
先週のデモ動員は主催者発表で10万を超えたとされる。

今日、初めてそのデモに参加した。
丸の内線の国会議事堂前駅改札を出ると、その場から4番出口を目指す行列が始まっていた。夫婦や友人同士、お年寄りや小さな子供連れもいる。ただ、その列の動きは警察官が厳重に「制御」していた。

10分ほどしてようやく地上へ。すごい人、人。小雨の中、歩道が人で埋め尽くされていた。立ち止まることは警官が許さず、いったん財務省上交差点方向に誘導された。
しばらくして列が動き始めた。方向は首相官邸だ。ふと誰かが「再稼働反対!」と声を上げた。すぐにそれに応えるように群衆が同じ言葉を連呼し始める。そのまま歩道上で15分ほど叫び続けながら進んだころ、それまで警官によって歩道に留められていた人々が急に車道へと動き始めた。警察官は「車道は危険です、歩道に戻ってください!」と叫んでいるが、流れはどんどん激しさを増した。まさに「堤防決壊」だ。ある人は赤いパイロンをわざと倒し、車道へ駆ける。興奮した皆がそれに続く。シュプレヒコールが一段とボリュームアップした。

国会記者会館と国会議事堂の間の片側2車線の道路はあっという間に人々に占拠されてしまった。「再稼働はんたーい!!」「大飯を止めろ!!」「命をまもれ!!」。激しさを増した雨を浴びながらも逆にヒートアップした人々のいくつもの声が鼓膜を揺さぶるように響く。

警察官が警視庁のバスの上で「ただちに歩道に上がってください!!」と叫んでいる。それに対して横にいたおばさんが何やら言い返している。ここにいる皆が警察に歯向かっているわけだ。 冷静に考えれば信じられない光景だ。なぜならここにいるのは狂信的な過激派でもなければ60年安保の頃の学生でもない、普通の市民なのだから。

雨は土砂降り。傘をさしていても隣の人の傘を伝う雨水がようしゃなく降りかかってずぶ濡れだ。そうこうしているうちにデモの前の方に押し出されてきてしまった。最前列の人たちはあきらかにほかの人たちと表情が違った。憎しみを帯びた顔だ。「もっと押せー!」と叫ぶ人もいた。スクラムを組んだ警官は人々を支えながらついにズルズルと後退した。警官の向こうに報道のカメラのストロボのAF補助光が赤く光った。首相官邸交差点付近に到達したころ、ふと時計を見るとデモ終了時刻の20時を過ぎていた。振り返ると多くの人は解散し始めていた。

 今日のデモは先週までと違い、予定時間をオーバーしたうえ、警官とのもみ合いが起こってしまった。野田首相が先週のデモに際し「大きな音だね」と無神経なコメントを発したせいだろうか、人々の怒りはとっくに沸点に達しているのだ。「国民の生活を守るため再稼働が必要」と訴える野田さん、あなたの頭こそ再起動が必要だ。
 




2012年7月5日木曜日

アジサイさんぽ

 神奈川在住の知り合いのライターさんとドライブを楽しみました。秦野駅で待ち合わせ、神奈川県西部の丘陵を南下して小田原方面へ。秦野の盆地を挟んで、丹沢と大磯丘陵は違う山塊なのだと教わりました。
ちょうどアジサイが見頃なので平日で空いている国道1号を登って登山電車を撮りました。
ものすごい勾配をするすると走っていく赤い電車。ほかにもカメラマンがきていました。

 宮ノ下駅。列車が待ち合わせをしています。レールの軌間が広いので構内も広く見えます。

 旧型の車両も絵になります。電車で見えませんが、大好きな構内踏切のある駅です。

 駅前のカフェで休憩してあれこれ長話。暑いのでコーヒーではなくサイダー・フロートにしました。この店のとなりにあるNaraya Cafeは、以前小学館の雑誌で取材させてもらった足湯のあるカフェ。そっちに行きたかったのですが定休日でした。

 カフェですが、刺身も味わえるようです。

登山電車の線路脇でラミーカミキリを発見。かわいらしい模様でした。

エサ場

このところの週末は、息子が飼っているカナヘビのエサ探しが欠かせない。
なにしろ生きた虫やミミズしか食べないので、毎週虫捕りをしていることになる。

ここは家から最も近い遊歩道脇の草むら。
ツチイナゴやショウリョウバッタの幼虫がたくさんいる。
草の中を歩いているとアマガエルやコオロギの姿も見かける。
カマキリの幼虫なんかもいるが、数が少ないせいかなんとなく放してしまう。

びっくりしたのはシジュウカラの巣を見つけたことだ。
二人でバッタ捕りをしていると何やらシジュウカラがこっちに向かって鳴き続けている。
そして耳をすましてみると・・・壁の排水用のパイプの奥にたくさんの雛がいるではないか。
僕たちはシジュウカラ親子の大事なエサ場にお邪魔していたようです。