葛飾区お花茶屋。自分が生まれ、10才まで育った街だ。
ふと訪ねてみたくなり、上野公園地下の上野駅から京成電車に乗った。
記憶が確かなら、1994年に訪ねて以来。でもそのときは車でさっと来て元の自宅周辺を歩いただけだから、街としてはほぼ35年ぶりになる。
「プロムナードお花茶屋」と書かれたゲートが確かに建っている。この雰囲気は変わっていない。左の建物はたしか太陽神戸銀行(現・三井住友銀行)だったはずだ。
コンビニやチェーン店があることを除けば、昔のままの雰囲気だ。
覚えてはいないが、店先でかき氷を売る甘味屋や、製麺屋なんかがあって下町そのもの。
でも、「太陽にほえろ!」のサントラを買ったレコード屋さんがなくなっていた。
初めてザリガニ釣りをしたお花茶屋公園の池はずいぶん昔に埋められていたことは知っていたが、あらためて訪ねると当時公園を囲んでいた樹木はそのままだった。ここの隣の広場は夏には盆踊り会場になったものだ。今もそうなのかな。
商店街なかほどのパン屋さんを訪ねた。小4の同級生の女の子の実家だ。
当時とだいぶ雰囲気は変わったが手作りのおいしそうなパンが並んでいる。
彼女の母親らしきおばさんが店番をしていた。
最初は怪訝な表情だったが、僕が次々に繰り出す「記憶のなかの固有名詞」に圧倒されたのか、途中から遠くを見るような目になった。
茨城に嫁いだという彼女には大学生の子供がいるという。
髪が短くてボーイッシュだった彼女が、僕が転校するとき「がんばれよ」と肩をたたいてくれたことをハッキリ覚えている。
ちょうど昼時でお腹が空いていたので店内に並べられているパンをトレーにのせて会計をしようとすると、おばさんが飲み物とパンをさらにおまけしてくれて嬉しかった。
通っていた上千葉小学校から通学路を逆にたどった。
なんと正面にスカイツリーが聳えている。
そして右側に懐かしい銭湯「美吉湯」が現れた。
まだ銭湯が健在だったなんて。
当時の家には風呂がなかったから、文字通りここが「うちの風呂」だったのだ。
煙突からたなびく煙を見て何故かホッと和んでしまった。
さらに歩いてついに元の自宅跡に。
なんと50年以上?前に建った家がちゃんと残っている。
しかも今も人が住んでいる。
自転車を駐めていた細い通路、小さなベランダ、左右の家も当時のまま。
奥へ歩いて行きたい衝動に駆られたが、ドアに貼られた「猛犬に注意」のプレートに意を削がれた。シャッターを切ってしばらくこの小さな風景を目に焼き付けてからまた歩き始めた。
当時、近所の仲間と野球(といってもプラスチックのバットと軟らかいボールでやる遊び)をやった駐車場がほぼ昔の雰囲気を留めていて驚いた。狭いなー。よく奥の家の敷地にボールを取りに行ったっけ。 |
いちばん驚いたのがこの家。
家からいちばん近かった駄菓子屋だった。
小上がりのような石を登って、髪を大きく結ったおばあさんから御菓子を買ったものだ。
コカ・コーラの販売機があって、初めてその味を知ったのも確かここだ。
缶のコーラは販売機で70円、500の瓶は自分で冷蔵ケースから引き抜いておばあさんに110円を渡した。「電子ルーレット」?や、10円玉そのものをコマにして弾くゲームもあった。
そばにいたおばさんに聞くと、駄菓子屋さんを経営していたおばあさんはだいぶ前に亡くなり、今は子息が管理しているのだとわかった。
この家もあと何年残っているだろうか。
いろんなアングルから撮って思い出に別れを告げた。
京成の懐かしい踏切にたどり着いた。
ここにあった自動車修理工場はなくなっていた。
昔、僕はここでとんでもないことをして、そのとんでもないことの一部始終を見ていたここのおじさんに叱られたのだ。
ほどなく警報機が鳴り出し、最新鋭の特急「スカイライナー」が、そんな僕の感傷を吹き飛ばすように猛スピードで駆け抜けていった。
帰路に着くため駅に戻った。
ホームの柱には行商専用車の標示が健在だ。
車両はピカピカになり、4両編成ではなくなってしまったが、こんなところに京成らしさが残っていた。
上野の山から不忍池の弁財天を見下ろす。
じっとりと湿った熱風が木陰にいる僕の頬をなでた。
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