2007年11月28日水曜日
城戸さんの話
仕事で城戸真亜子さんに会った。タレントというより画家である。すらりとして目が印象的な美人だった。
最近のモチーフは「水面の波紋」なのだそうだ。いろんなモノを映し、それが壊れ、常に混沌として定まらない様。
そこに映し出される色や造形(といっていいのか)を描くのである。
かつてNHKの仕事でコロンビア大平原の氷河の上をトレッキングしたときの話になり、そこで見た「グレイシャスブルー」が印象に残ったと話してくれた。それは「リキテックス」というアクリル絵の具の色だそうで、珊瑚礁の海の青に近いらしい。
「そうやって実際に目で確かめたリアルな色だけを作品づくりに使うので、旅に出ていろんなものを見てまわることは、自分のポテンシャルを高めることにもつながるんです」
とも話していた。色を一瞬のうちに切り取る写真表現とは違い、色を駆使する画家のコトバであった。
2007年11月17日土曜日
権威をまえに
大新聞が版元である仕事が始まって半年が経った。仕事の進め方に当初から妙な違和感を感じていたが、業務がフル稼働状態になった今、そのストレスはピークに達している。
大新聞特有の権威至上主義からなのか、あるいは単に担当者の資質からなのか。原因がはっきりせず、仕事が気持ちよくできないでいた。
なんのために毎週毎週、顔を付き合わせて「打ち合わせ」ているのか、なんのための共同作業なのか。
しかし、しだいにはっきりしてきたのだ。象徴的なできごとが先週あった。
彼らが「読み合わせ会議」と呼ぶ校正作業は、なんのことはない「つじつま合わせ会議」であって、読者に背を向けた編集姿勢をよく現していた。書籍は詳細な情報を盛り込むほど、誤記を発生させるリスクが高くなる。だから、彼らにすれば「なるべく細かいことには触れずに無難にまとめておけばいい」となる。作業を通して内容を補足していく、という校正のもつ側面を無視する。そしてついに、「(誤記は)数万部の雑誌なら許されるが、朝日なら許されない」とまで吐く。
この傲慢さはなんなのだろう。勘違いもいい加減にしてほしいものだ。
その姿勢は、書籍の校正基準にまで新聞のそれを摘要するところなどの些細なところにまで貫徹されている。
「本は編集長のもの」だが、それは読者の利益もイメージしたうえで言うべきことであることはいうまでもない。
第四の権力を任じて世をミスリードし続ける、あるいは思考停止を決め込む朝日新聞系メディア。そのDNAが各セクションにまんべんなくいきづいていることを再認識したまでのことであった。
2007年11月8日木曜日
2007年10月20日土曜日
澄んだ空
空ばかり撮ってしまう。一瞬一瞬で変わっていくから面白いのかもしれない。
今年も、来年も、10年後も、50年後も、きっと同じような空が広がっている。誰しもそう信じて、あるいはそんなことは気にもせず生きている。それでいいのかもしれない。多くの人はそうかもしれない。
でも、勝手だが、そうでない人にもいてもらわないと困る、とも思う。
村上龍の「半島を出よ」は、近い将来の日本が舞台。何も気にせず、その場しのぎでやってきたこの国が突如突きつけられる運命。なんだかリアル過ぎて暗澹たる気持ちになる描写が続く。
それでも、こんな爽やかな空を見上げながら家族みんなで遊歩道を歩いていると、今日も生きていてよかった、と素直に思えてくる。
たぶん、人はいろんなことを忘れることができるからしぶとく生きていけるんだろうなと思う。
2007年10月15日月曜日
すっかり秋
つい拾い集めてしまうどんぐり(コナラの実)。ジョギングコースの尾根緑道でも、あちこちで「爆撃」されてしまった。
いっぽう、最初に葉を落とすのが桜。全部が全部、きれいに紅葉しないところがいい。
うっそうと茂っていた葉が落ちた遊歩道は、明るい散歩道に変わっていた。
萩の花も控えめに咲いていた(ブレてますが)。
近所にできたHONDAのディーラーに立ち寄った。オープニングのイベント中なので入りやすい雰囲気だった。最近、ホンダは販売チャンネルを一本化して「Honda Cars」にしたばかり。以前、ホンダ車に乗っていたときは、遠く永山の店へ出かけたが、今頃になって近所に巨大な店舗がオープンしたのだ。
駐車場になんとシビックTypeRが停まっていた。それも「試乗車」のステッカー付き。こんな「キケンな車」をご自由にどうぞ、とは。ホンダ最新の6速マニュアル・スーパースポーツが、キーをさしたまま目の前にあるのである。営業マンに「昔、S2000に乗ってました」なんて、うっかり口をすべらせていたら、妻と息子を置いてハンドルを握って試乗に飛び出していたことだろう。いやはや、ググっとこらえて店を出たのは言うまでもない。
2007年9月30日日曜日
他人のブログ
「ダカフェ日記」というブログがある。福岡在住のデザイナーの森さんという方が、家族の日常を雰囲気のある写真で切り取って綴るまさに日記である。このブログは会社の女の子に教えてもらったのだが、たしかにデザイナーだけあって写真やそこに写っている暮らしの空気、そしてブログのデザインそのものも洗練されている。
このブログ風の写真の撮り方を説明するページもある。カメラやレンズ、写真の基本的なことなどがとてもわかりやすく解説されている。機材があくまで道具として捉えられているところがいい。
趣味(この場合はカメラの技法)を他人に説明する場合、語る人の主観が聞く側の理解を阻害することが多々ある。本当に知りたいことがぼやかされてしまうのだ。「こうしたほうがいい、ああしたほうがいい」という話し手の「ボランティア精神」がその元凶だ。原稿書きにも言えることだが、「どんな人にもわかりやすく説明する」といういちばん難しいことをさらっとやってしまうこの人は、そうとう能力のある人だと察する。
と思っていたら、昨日、ヨドバシカメラのレンズ売り場で「ダカフェ日記のレンズ選びブック」なるものを見つけた。シグマというレンズメーカーが作成した小冊子である。このブログの写真とその撮影に使用した同社のレンズがセットで紹介されている。
一日3万アクセスという実績もさることながら、その能力はすでに評価されていたのだった。
それにしてもシグマの30mmF1.4、欲しいなあ。そのワケ? このブログを見てみてください。
ダカフェ日記
http://dacafe.petit.cc/
2007年9月24日月曜日
初めて会った国会議員
先週、仕事で国会議員の谷垣禎一さんに会った。
趣味の話だったせいか饒舌で、予定を超過していろんなエピソードを披露してくれた。ピッケルを持ってインタビュールームに向かう谷垣さんのうしろを歩いたとき、持っていたイメージと違い、意外に体のガッチリした人だと感じた。
政治家という職ほど過酷なものはないだろう、と先日の辞意表明会見での安倍晋三首相の表情を見て思う。議員会館の応接室でにこやかに語っていた谷垣さんも、今日、福田新総裁から党政調会長に指名された。
「古い自民党に戻った」「政策不在の選挙」などといろいろと批判されている今回の総裁選だが、その議員は我々の代表ということになっているのである。あらためて国民の審判を受けるなら受けるで、一日も早く国の運営を正常な状態に戻してもらいたいと思う。
2007年9月22日土曜日
虫捕り網の思い出
「南大沢自然図鑑」となりつつあるこのサイト。
今日は久しぶりに捕虫網を振り回していたら、2歳の息子をさしおいて夢中になってしまった。
というわけで、今日の獲物のアキアカネ、アゲハチョウ、モンキチョウ、ルリシジミ、ショウリョウバッタ、アブラゼミ・・・のなかでも「大物」はこのバッタ。鈍い動きからしてトノサマバッタではないし、クルマバッタ? あるいはツチイナゴ?
このアングルじゃ判別のしようがないですが。
子どもの頃は、トノサマバッタに憧れたものです。あの大きさ、草色の体にキリリと映える赤い後肢の絶妙な配色、ここだと決めて網を下ろしたすぐそばから飛び立つときの大きな羽根の黄色。そういえば、バッタの棲む空き地の場所自体が秘密だったなあ。
などと物想いに耽っていると、横で息子がこの鈍いバッタめがけて無情にもバタバタと網を「打ち下ろして」いるのだった。
2007年9月15日土曜日
2007年9月12日水曜日
朝の珍客
2007年9月8日土曜日
台風一過の多摩川散歩
ふと思い立って京王多摩川へ散歩に出かけました。金曜日、電車から眺めた多摩川は、台風9号の大雨を集めて流れ、かつて見たことがないほどの増水でした。広い調布市側のグランドも茶色い暴れ川にのまれていました。翌日、水が引いて現れた案内標識はご覧の通り。
その激流をギリギリで支えたコンクリートの堤防にはイナゴが一匹。こわかっただろうなあ。
河原にはゴミに混じって太い木の枝やクルミの実なんかも漂着していました。
水が引いた河原のあちこちに水たまりができていました。その泥水を網で熱心にすくっている家族にバケツの獲物を見せてもらいました。クチボソではないようですが。このままでは死んでしまうので多摩川に戻してやるんだそうです。えらい!
京王多摩川駅のそばにある「喫茶みよし」。昔ながらのたいやき屋さんです。メニューにはかき氷やアイスココアなんかもあって、なかなかいい雰囲気です。たいやきが焼き上がるまでの時間、おばさんとおしゃべりをして過ごしました。
店の中にはかつての多摩川の絵や絵図が飾られていました。「昔は川幅が今より広くて浅かったから、障子を張り替えるときは川に浸しておいたのよ。重しをのせておかないと流されちゃうこともあったわ」とのこと。以前は駅前ではなく、多摩川寄りの京王閣(遊園地)の跡地の近くに住んでいたらしいです。ちなみに今回の台風9号では、川の水が少しきたそうです。
できあがったたいやきは、あんも皮も最高においしかったです。店はちょっと古いけど、清潔で、おばさんの接客にも人情がありました。いつも電車で通っている町で、これがほんとの「途中下車の旅」でした。
2007年8月26日日曜日
夢のような時間
数日前、尊敬する、あのムツゴロウこと畑正憲さんに会うことができた。中学の頃からエッセイを中心にその著作を30冊以上は愛読してきたからそれは感激の時間であった。緊張のあまり完全に舞い上がっている私の問いをじっくり聞いたあと、静かに、そしてゆっくり言葉を選んで話を聞かせてくれた。かと思うと、突然眼を見開いて声のボリュームを上げることもあった。あのリズム溢れる文体そのままだった。
私が持参した「どんべえ物語」(角川文庫)のとびらに、サインとヒグマの絵を描いてくれた。別れ際に握手。ムツゴロウさんひとこと「細いなあ〜、腕相撲やったら勝っちゃいそうだな」。こんなことを目上の人に言われたのは久しぶりだったし、なんだか嬉しかった。ああ、負けてもいいからチャレンジすればよかったなあ〜。
2007年8月18日土曜日
一人前になるということ
セミの終齢幼虫が脱皮の場所を求めてセコイアの幹を登っていた。久しぶりに見る光景だった。
ちゃんと羽化できるまで安心はできないが、何年かぶりに見る地上の光はさぞ眩しいことだろう。
昨日、京王線の特急に乗っていてふと足下を見ると床にペタリとしゃがんで漫画を読んでいる低学年くらいの子どもがいた。横には母親らしき30代くらいの女性がすまして立っている。
ひとりの人間が「電車の中で床にしゃがむのは恥ずかしいことなんだ」ということを、ほかの誰でもない親から教わる機会を逃したその瞬間であった。この子はこの後、ほかの誰かから同じことを諭されたとしてもたぶんキョトンとするだけだろう。子は親を見て、大人を真似て育つ。この母親も同じようにその機会を与えられず大人になったのだろう。
道を歩きながら、あるいは電車の中でパンをかじったり、飲み終わった空き缶をその場で投げ捨てたり、すし詰めの満員電車で必死にスペースを確保してまで漫画を読みふけったり・・・。これらの半人前の人種を「再教育」するのは年齢的に無理だろうから、周囲の親しい人間がうまく折り合いをつけていくか、または離れていくかのどちらかを選択するだけのことだ。
私は常識やマナーの大切さをいちいち説きたいわけではない。将来的にこの種の人間が増えていき、想像力の欠けた者(一人前でない人間)が主役となってリードしていく世の中を想像したくないのである。
躾は幼い子を持つ親として身につまされるテーマである。「俺がこの家の法律だ」ぐらいの覚悟でないと伝わるものも伝わらないのかもしれない。「こどもの人権が」とか「こどもにも価値観が」などという議論は「識者」に任せ、目の前の子どもに俺流を教え込んでいくしかない。それに価値観なんてものは親が何を言おうが子どもが勝手に見いだしていくものだろうし。
アブラゼミの幼虫はDNAにしたがってひとりで地面から這い出して幹を登れるのだけど、人間は言葉を介してしか一人前になる術を伝えられない生き物だろうから。
2007年8月13日月曜日
2007年8月10日金曜日
8月だけどニイニイゼミ
2007年8月4日土曜日
阿久悠さんの言葉
作詞家の阿久悠さんが亡くなられた。毎週土曜日の新聞の時事コラム「阿久悠 書く言う」が好きだった。6月以降、連載が止まっていたのでどうしたのだろうと思っていたところだった。
コラムの阿久さんは、いつも何かに怒っているようで、読む方もつい待ってました!と「今週の阿久語録」を期待してしまうのだが、いっぽうで「それを言っちゃおしまいよ」の寅さんのようにどこか温かくフォローするところがあった。物事に苦言を呈するときはステレオタイプでなく、阿久さんなりの客観的な状況判断を働かせた上で論じる。決して突き放すような言葉は使わない人だった。
そんな阿久さんの逝去を報じるニュースで本業の作詞家としての軌跡を見た。ピンクレディーは言うに及ばず、「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)、「北の宿から」(都はるみ)、「青春時代」(森田公一とトップギャラン)、「時代おくれ」(河島英五)、「熱き心に」(小林旭)、「勝手にしやがれ」(沢田研二)、「鳥の詩」(杉田かおる)、「もしもピアノが弾けたなら」(西田敏行)、「ウルトラマンタロウ」、「宇宙戦艦ヤマト」(ささきいさお)、「デビルマンのうた」、「哀愁物語」(村下孝蔵)……。自分の記憶に濃密に刻まれた作品だけ挙げてもこれだけの数になるし、どの歌も今でもスルスルと口ずさむことができる。
若い妻が夫を殺害してバラバラにしタクシーや電車で遺体を遺棄した事件の報道に対しては、マスコミが「エリート」「ブランド」「セレブ」などの「称号のようなカタカナ」を連呼していることを指して、「格差を厭いながら、格付けを妄信することの矛盾に早く気がつかないと、犯罪がセレブの資格になったりする」(産経新聞『阿久悠 書く言う』より)と阿久さんは論じていた。
5000曲以上といわれる著作の数もさることながら、これだけ人口に膾炙した作品を遺した阿久さんのコラム「書く言う」がもう読めないのは本当に残念だ。心からご冥福をお祈りします。
2007年7月29日日曜日
想像力の欠如
この週末は夏らしい天気が続いた。参院選の投票日の前日、当日であったが、候補者名の連呼もなく、南大沢はおおむね静かな選挙終盤戦だったようだ。南大沢駅の空を、子育てを終えたヒメアマツバメやイワツバメの群れが、時折鋭い鳴き声を発しながら飛んでいた。
さて、選挙戦はというと、メディアの大方の予想は与党の大敗であって、これはほぼ現実となりつつある。となりの「ならず者国家」からも万歳三唱が聞こえてくるようだ。国民は「絆創膏王子」や「年金の納入記録問題」などと引き換えに長期的な政権の不安定化を選択した。選挙期間中、国の命運を語るテーマとして、その方向性はともかく、とりあえず「ケンポウ、ケンポウ」と叫んでいたのは与党ではなく少数野党の側であった。参院任期の半分の3年が経過した時点で「バンソウコウ云々」と聞いて、いったい何人の人がそんなバカバカしいことを記憶にとどめているだろうか。
かつて拉致を犯した元工作員の釈放嘆願書に署名した元代表が属し、あるいは教育現場を混乱させる組織出身の議員を有し、また、職務をサボタージュしてきたあの社会保険庁の労組が支援する政党・民主党。選挙報道のワイドショー化に迎合し、国際社会で生き残るための想像力をすすんで放棄した私たちは、その計り知れないリスクを背負って生きていかなければならない。
2007年7月24日火曜日
三浦半島ドライブ
日曜日、油壺の親戚に会いに三浦半島に行ってきました。その三浦半島でいちばん気持ちのいい風景に出合えるのがここ。浦賀水道に面した、半島東端の海を見下ろす丘です。東京湾の安全を見守る劔崎灯台も近いです。特産のスイカが転がる海岸段丘の畑の向こうに東京湾と房総半島が見えています。こんな場所に家を建てて毎日海を眺めて暮らしたいものです。
ここはその先の宮川公園。2基の風力発電設備が立つ公園です。南風を受けて回る風力発電のローターの直径は31mもあり、『シュン、シュン」と結構な風切り音を立てています。発電した電力が夜間のライトアップに充てられているとはなんともムダな気がしますが、真っ暗闇で頭上から「シュン、シュン、」とあの風切り音が聞こえるのを想像するのもちょっと怖い気がします。ちなみに電力の余剰分は東京電力に売られて年間1000万円を稼ぎ出しているそうです。
2007年7月18日水曜日
晴れ間の光景
東へ移動する台風4号の暴風圏を気にしながら埼玉の実家へ。
台風はそれほど雨雲を引き連れていなかったらしく、最接近時でもちょっとのにわか雨だけで通り過ぎていった。
日曜日、ひとときの快晴。でもそのわずかな時間に日本海側で大地震があった。
めまいかと思った揺れの少し前、実家の庭でヒメアカタテハを見つけた。どこにでもいるチョウだとはいっても、こんな小さな庭でじっと羽を休めてるなんて、と思いながらシャッターを切った。
蜜を吸うのでもなく、ただこちらを向いてたたずんでいるヒメアカタテハ。「なんかヒマそうな人間がじっと見てるな」とでも思ったかな。
久しぶりの日射しに虫干しならぬ「羽干し」してただけかも知れないけど。
2007年7月10日火曜日
にぎわい
土日ともなるとアウトレットや映画館を訪れる人でごった返す駅前。1988年開業のこの駅は、その週末毎の賑わいとは逆にわりと「質素」な駅舎で役割をこなしてきた。それが今年になってあれよあれよという間に駅舎の大増築が始まり、駅ビル「フレンテ南大沢」は今月末の竣工を待つばかり。商店街の無い駅前にもようやく形ばかりの「賑わい」が生まれそうだ。
ただ、肝心のテナントは京王ブランドのチェーン店や都心でもおなじみのショップばかりとか。駅の周りに新たな商業スペースを見いだし得ない南大沢にあって、せっかくの場所なんだから地元のパン屋さんやケーキ屋さんがテナントに入ればいいのにと思うのは自分だけではないだろう。こういう「エキナカ」の発想は、ほんとうの街づくりとは相容れない考え方だと言える。「大戸屋」の定食ばかり食べていると、そんなことにも気付かなくなるのだろう。
2007年7月1日日曜日
えのでん
「出没!アド街区天国」(江の電タウン)を見ていたら、また江の電を撮りたくなりました。でも、どの電車でもいいかというと、これが違うんですね。やはり300形というのが自分の中のスタンダード。どこから見ても飽きません。これはもういけません。自分の中では、バイクで言えばカワサキのゼファー1100のエクステリアが醸す雰囲気と同じなのです。どこをとっても無駄がない秀逸な「造り」です。放出部品を買う人の気持ちが分かるってもんです。
写真を撮りにいくなら一人でかな(一緒に行くとメイワクだろうし)。ちなみにこの写真は数年前、極楽寺車庫で行われた304形引退記念撮影会の時のものです。
Canon EOS-1N EF28-70mmF2.8L f8 絞り優先AUTO ISO400 ネガカラー
2007年6月26日火曜日
2007年6月24日日曜日
追憶を誘う光景
快晴の土曜日、行きつけのパン屋さんのテラス席でランチタイム。「500円以上お買い上げ」の人に嬉しいかき氷のサービス。いちごのシロップは夏の色ですね。
RICOH GR DIGITAL f5.0 1/97秒 ISO100
くっきりと濃い影を真下に映したブランコ。炎天下の公園に子どもたちの姿はありませんでした。
RICOH GR DIGITAL f5.0 1/870秒 ISO100
夕方、青空に半月が浮かんでいました。月を眺めていると、なぜだか子ども心に還ります。
今日24日は、歌手・村下孝蔵氏(1999年逝去、享年46歳)の命日です。心にぽっかり穴が空いたあの夏の日が甦ります。この国の季節や人の心のはかなさ、やさしさに気付かせてくれた歌の数々は宝物です。
Canon EOS30D EF70-200mmF2.8L f3.5 1/500秒 ISO200
2007年6月21日木曜日
小淵沢の駅そば
今日は仕事で八ヶ岳山麓の甲斐大泉へ。小淵沢駅で駅レンタカーを借りて仕事を済ませ、3時間後に再び小淵沢駅へ。八ヶ岳倶楽部でおいしいフルーツティーをいただいたものの、食事の時間がとれず、とりあえず駅に戻りました。昼ご飯は駅弁にするかホームの立ち食いそばにするか迷いましたが、結局そばにしました。
反対側の長野行きの普通電車の車内では、駅弁を食べる人の姿も見られました。「車内持ち込み用の容器で」と注文すれば列車内でそばをすするのも可能なようですが、ちょっと勇気がいりますね。
去年来たときは閉店間際で食べられなかったそばで遅い昼ご飯。
しっかり濃いめの関東風のつゆ。でも味はほどよい感じ。このそば屋は駅弁「高原野菜とカツの弁当」で知られる丸政という会社の経営とのこと。天ぷらも駅前の同工場で揚げているそうです。
ホームから望む甲斐駒ケ岳。駅そばの味を引き立てます。
2007年6月17日日曜日
ほんとに梅雨?
梅雨の晴れ間とはいえ、自宅の窓からこの季節にこんなに富士山がくっきり見えるのは珍しいことです。梅雨入り直後は快晴となることが多いですが、早くも湖底を現し始めた奥利根のダムの写真が紙面を飾るようでは喜んでばかりもいられません。
Canon EOS30D EF70-200mmF2.8L f7.1 1/1000秒 ISO200
日曜は親戚の家のある横浜の洋光台へ出かけました。昭和45年まで根岸線の終着駅だったという駅は、掘り割りを走る軌道上に小さな駅舎が立ち、周りを高層のアパートに囲まれていました。11階から東を眺めると、ベイブリッジから房総半島まで見通せました。足下の街並みは、徹底的に人車、および居住地区と商業地区を分けた多摩NTの南大沢と違い、適度に商店が散らばっていて活気が感じられます。鎌倉まで5駅の場所というのもちょっと羨ましいです。
Canon EOS30D EF16-35mmF2.8L f10 1/400秒 ISO200
2007年6月15日金曜日
2007年6月10日日曜日
梅雨空散歩
今日は久しぶりに撮り歩きに出ました。黒い雷雲が近づくなか、アジサイと井の頭線をパチリ。しかし、どうもこういう「顔のない電車」ってのは印象が薄いもんです。
新代田〜下北沢間にて・Canon EOS30D EF16-35mmF2.8L f4.5 1/320秒 ISO200
関東の駅百選に選ばれたという東急世田谷線の三軒茶屋駅です。初めて利用する人は切符を買わないことに戸惑うかも知れません。
カラフルな300系電車が下高井戸駅との間の5キロを結んでいます。でも2001年まで走っていた深緑色の電車のような風情は微塵もありません。
Canon EOS30D EF16-35mmF2.8L f4.5 1/25秒 ISO400
明治の末に玉川線が開通した三軒茶屋。大山街道の宿場として栄えた町の歴史を物語るように、246と世田谷通りに挟まれた一角は味わい深い路地裏の街が広がっていました。映画館もこの通り。
Canon EOS30D EF16-35mmF2.8L f4.5 1/250秒 ISO250
2007年6月5日火曜日
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