2009年12月31日木曜日

大晦日に考える


今年も残すところ24時間弱。
このブログの更新も含め、なにもかも中途半端に終わろうとしている。
夕方、久しぶりに尾根緑道から多摩センターに向かって走りながらいろいろ考える。
そう、走っているときは意外に頭がすっきりしているのだ。
雑念がないから思考が深まるのである。
来年に向けてのヒントが2時間かけて浮かんだ。

今年最後の写真は、昨日、息子と出かけた新宿駅5番線の成田エクスプレス・253系。
たしか学生だったとき(1991年)にデビューしたこの車両も、今年10月から走り始めたE259系の登場で来年中には全廃とか。

普段、縁のない列車だけど、おつかれさんの挨拶代わりにシャッターを切った。
特殊な車体だから、たぶん「第二の人生」も望めないだろう。
潰しが利かない、と言ってしまえばそれまでか。

でも、人だってそんな生き方の方が豊かだと言えないだろうか。
手に職を持って頼りにされて、社会と繋がって生きている。
253系のように20年弱でお払い箱はご免だけど、
尊敬できる「生き方」だと思うのだ。

今年も支えてくださった方、訪れてくださった方、すべての方に感謝申し上げます。
2010年も皆様にとってよき年であることを祈念します。

2009年12月21日月曜日

横須賀線


本当に久しぶりに「撮り鉄」しました。
しかもフィルムで。
この写真は一緒に持っていったGRの画像。
電車がきたときはフィルムで撮っているので、ここにアップできないのです。

ここは横須賀駅近くのトンネルの上。
軍港・横須賀らしい風景がふかんできる素晴らしい場所です。
マニュアルの銀塩カメラで、ポジの狭いラチチュードをイメージしながらカメラの設定を変える作業が懐かしかったです。

この1枚、1枚考えながら撮る感覚。
別に考えなくてもシャッターは切れるのだけど。
デジタルと違ってなぜか得した気分になるから不思議です。
それはたぶん、「できてからのお楽しみ」の時間が長く続くから、かな。

2009年11月3日火曜日

京王線ざんまい


家族で京王線若葉台車両基地の見学会に行ってきました。
沿線に住んで8年。初めて若葉台で降りました。


工場の建物では8000系を使った車体吊り下げの実演をやっていました。


台車です。一組の車輪は800キログラム以上あるとのこと。線路幅の違う井の頭線の台車もここで修理して、杉並の富士見ヶ丘工場に陸送するそうです。


パンタグラフの上げ下げ体験も。これは最近主流の「シングルアーム」という形。
このほか電車の屋根に乗っているクーラーもありました。
ちなみにクーラーの温度調節は車掌さんにはできないとのこと。
係のお兄さんがこのことをしきりに強調しているので、よほど苦情が多いのかなと察します。


これは車両を繋ぐ連結部の幌です。
昔はこの幌の部分に立っているのが怖かったものです。
破れてる幌の下に走行中の線路が見えたりして・・・。


新しい9000系です。
この間書きましたが、廃車になる6000系の代わりを、今後はこの電車が務めます。
今どきのステンレスですが、小田急なんかと違い、ちゃんと「顔」があるのがいいです。


6000系はデビュー当時のリバイバル塗装が施されていました。
といってもそのころの京王線のことは知りません。

2009年10月24日土曜日

ろくちゃん


京王の6000系です。
我が家では「ろくちゃん」で通ってます。
このろくちゃん、廃車が進んでどんどん減ってます。1972年から走り始めたこの6000系は、噂では来年度中に全廃とのこと。それを耳にしてからというもの、意識して撮るようになりました。

京王のシンボルカラー「アイボリー」を全身に纏った車体は、ステンレスではなく重い鋼製です。最新の9000系(我が家では「きゅうちゃん」)にも顔はありますが、丸い目とアナログ表示の方向幕が醸し出す独特の貫禄は「昭和の電車」の雰囲気たっぷりです。

72年生まれだから人間なら37歳。クルマだったら、ましてや公共交通のバスではそんな車体でお客さんを運ぶことなどまずないでしょう。

鉄道好きの人も、そうでない人も運び続けてうん十年。
沿線に暮らした多くの人たちの記憶の中で、これからもずっと走り続ける「ろくちゃん」なのです。

2009年10月20日火曜日

秋色


すっかり葉も色づき、ドングリも至る所で踏まれて粉々になってきた今日このごろ。
息子がソメイヨシノの落ち葉を拾ってきました。
なかなかいい色。GR DIGITALの被写体にぴったりです。


駅までの遊歩道に沿って続くケヤキ並木。のんびりできる空間です。
落ち葉が積もると、息子たちのやることと言えば「落ち葉のシャワー」。
気持ちはじゅうぶんわかります。


ここは相模原の鹿沼公園。息子が保育園の遠足できて気に入ったらしく、それならと家族でやってきました。
足こぎのゴーカートや、コンクリートでできた滑り台、それから昔の公園の定番・蒸気機関車の静態保存(D52形)なんかもあって懐かしい雰囲気にあふれていました。

2009年10月5日月曜日

フジサン特急


先日の連休に乗った「フジサン特急」。

往復とも先頭の展望席に座れました。しかし、特急とは名ばかり。そもそも20パーミル以上の上り勾配と小半径の曲線が続く下り(大月→河口湖)ではスクーター以上のスピードを望むのはムリな話でしょう。

室温が上がりがちの最前列の展望席や、トイレのアンモニア臭が漏れるデッキ部分など、改善の余地有りです。

この路線には、先頃登場した「富士登山電車」(旧京王5000系改造、水戸岡さんデザイン)のような電車の方が合ってるな、と感じました。

2009年9月27日日曜日

ごぶさたです^^)“


またしても更新が滞っていました。数少ない「読者」のためにももう少し責任を持たねばと反省。

夏が静かに去りつつある9月の休日、息子と近所の池でトンボ捕りをしていると、近くの柱にしがみついているヌケガラを発見。池を見ると・・・。


底を覗くとヤゴがいっぱい(画面をクリックして拡大して見てください)。
大きさからしてアキアカネかシオカラトンボか。
昔を思い出しながら手づかみで捕まえました。気づいたら9匹も。



下から見ると微笑んでいるような「表情」のヤゴ。


これはたぶん、前に放したアメリカザリガニでしょう。おしり側から片手で追い込んだらすぐ捕まりました。ふだんは池のヤゴを食べているはずです。


そして、このヤゴを息子の希望で持ち帰ることに。


ヤゴは飼うのが難しかったはずだけどなあ。


煮干しやシラスなんか食べるかな。


まあ、なんとかなるか・・・と、カブトムシを飼っていたケースを洗って中和剤でカルキ抜きした水を入れて、濾過装置を作動させてヤゴを飼い始めました。


結局、ヤゴはシラスには見向きもせず、その後エサ用にとヒメダカ(30匹398円)を買ったものの、今度はそのメダカが可愛くなり、水槽用の砂利と水草とメダカ用の乾燥ミジンコを買ってきました。


肝心のヤゴはメダカに反応はするものの、捕らえることができない様子。


そのため、慌ててヤゴのためにこれまた懐かしいイトミミズを調達。これはモリモリ食べてくれました。


期せずしてメダカの水槽が我が家に完成、と相成りました。


後日、長池公園の管理センターの人に聞いたところでは、ヤゴは池にいるミジンコやボウフラ、もっと小さな水中の微生物を食べるらしい。「意外に気高いところがあって、動かないエサは食べません」とのこと。

飼うのが難しいわけです。

2009年7月22日水曜日

連休


日曜日、感動的な虹が架かりました。息子とふたり、夕焼け色を柔らかく拡散した空の下でボーっと空を見上げていました。


朝、あまりに天気がいいので自転車でさっとでかけました。最近とんと走っていない尾根緑道から丹沢の山並みを眺める。朝なので空気がきれい。


早朝の長池公園。旧四谷見附橋の重厚な造りが風景を引き締めます。

2009年6月1日月曜日

ぞくぞくと


なんだかんだとテントウムシはすくすく育ってしまいました。そして、この週末にかけて続々と羽化しました。これは2、3度脱皮した状態の幼虫。これがあの愛らしいテントウムシになるとはとても思えません。


何度目かの脱皮のあとサナギになりました。もうアブラムシをやらなくていいので正直ほっとしました。


次々と羽化します。これはナミテントウ。まだ黒い色も赤い斑点も出ていません。体が柔らかく、湿っているのでじっとして硬く、乾くまで待っています。


これは一足先に羽化したナナホシテントウ。外に放してやりました。

2009年5月15日金曜日

オオミズアオ


保育園の裏のソメイヨシノの幹にオオミズアオがいました。
ガの仲間は苦手ですが、これは色がなんともきれいで印象的な虫です。
調べてみると幼虫はソメイヨシノやカエデ、モミジなんかを食べるそうです。
長男を送ったあとだったので見せてやれませんでした。

2009年5月11日月曜日

たまご


テントウムシを入れているビンにかぶせたガーゼを見たら・・・、なんと産卵していました。昨日、ビンに入れた途端交尾していたのでもしやと思っていたのですが。
3日くらいでこれが全部孵化するそうです。果たしてエサのアブラムシは幼虫の分まで調達しつづけられるのか。

2009年5月9日土曜日

ご無沙汰でした


大変なご無沙汰でした。
2カ月以上更新していませんでした。もっと気楽に書いていけば、と思うのですがなかなかそうもいかず。
引っ越しやら、ほぼ毎日が終電の日々となるなどいろいろあるにはあります。
とりあえず、息子の保育園の転園に合わせて近所に引っ越しました。前よりやや緑豊かな環境になりました。朝はウグイスやアオゲラの声が響いてます。


4歳の息子がテントウムシに夢中になっている。
保育園で借りてきた絵本の影響みたいなのだが、とにかく虫に興味を持つのはいいことだ。ちなみにその絵本によればよく見られるのはナナホシテントウとナミテントウの2種だ。
最近読んだ「虫捕る子だけが生き残る」(養老先生らの共著・小学館新書)によれば、昆虫採集は人間の感覚や思考能力の発達に絶大な影響力を持つそうだ。
だからすすんで虫捕りに付き合っているというわけでなく、かくいう自分も面白いからつい草むらに虫のシルエットを追ったりしてしまう。

テントウムシは意外に見つけやすい。まず目立つ色、形をしている。この時期ならどこにでも生えているマメ科のカラスノエンドウやスギナなどの背の低い葉にとまっているから子どもでもすぐに見つけられる。緑の草のなかに赤い虫がいるのだ。余計なことだが、この厳しい自然界でよくまあ生き延びてきたものだと感心する。

さて、捕まえたテントウムシはいちおうはアブラムシと一緒にビンの中に入れられている。が、おそらく数日で死んでしまうだろう。自分も子どものころセミを虫かごいっぱいに捕って、結局そのまま死なせてしまったものだ。でも、この「殺生」が大事だと思う。虫にはかわいそうだが、命を奪ってしまうという実体験をこの年頃にどんどんすべきだと思う。その感触や記憶は、命を宿す自分以外の生命に対する姿勢に確実に反映されていくと思うのだ。

前述の本によれば、近頃は昆虫採集がしにくい時勢なのだそうだ。自然を破壊する行為だとされるのだ。でも子どもが捕る虫の数なんてたかが知れている。それより高速で走る車や列車に衝突したり、誘蛾灯にやられて死んだりする虫の数の方がはるかに多いはずだ。
魚釣りも同じで、近所の池の周りにはおしなべてフェンスやロープが張られ、水辺には釣りを禁ずる看板が立つ。おそらくここ多摩ニュータウンは、どこも風景が一変するくらい開発されてきたはずなのに、そのなかに一部「残した」池や山は立ち入り禁止にして「保護」している。つくづく人間とは勝手なものだと思う。

世間では「チームマイナス6%」だとか「レジ袋をやめてマイバッグを」などという偽善「エコ」がまかり通ってしまっているが、最近の高速道路料金の値下げ政策もまたご都合主義のさいたるものだ。大型連休はどこの高速道路も大渋滞で、JRなどはそのあおりで旅客が減ったそうだが、この連休中に料金値下げの恩恵を享受して列を成したクルマから吐き出された大量のCO2はカウントしなくていいのか。「チームマイナス6%」のロゴをHPや広告に誇らしげに掲げる企業の社員はそれでもハンドルを握らなかったのかどうか。「明日のエコでは間に合わない」というスポットを流すNHKはこれをどう報じたのか・・・。

そんな矛盾だらけの大人の社会に染まる前に、子どもにはせめて昆虫採集でもして自分の感覚でもって直に今目の前で起きているリアルな生命のドラマを見て感じてほしいと思っている。

なんて肩肘張って書き連ねたりするからなかなか更新できないのかも。
写真ももっと撮らねば。

2009年3月7日土曜日

九州旅行〜その4〜


またやってきました。嘉例川駅。こんな趣のある駅舎ですが、鹿児島空港からいちばん近い駅だったりします。


誰がたたずんでも絵になりそうな名駅舎です。木のベンチに腰掛けて物思いにふけるのに絶好の場所ですが、特急「はやとの風」の発着時刻に合わせて観光バスが横付けされるので注意。


駅舎ではひなまつりの催しが行われていて、中に入ることができました。
ラッキーなことに昔の駅名板とタブレット閉塞の機器を見る事ができました。「霧島西口」とあるのは現在の霧島温泉駅のことです。


霧島温泉郷の旅行人山荘に泊まりました。森の中の露天風呂がおすすめの宿です。部屋の窓からニホンジカの群れを目撃!


霧島神宮にお参り。朱塗りの社殿が緑に映えます。宮崎行きの特急の時間の関係でゆっくり見ることはできませんでした。

2009年2月26日木曜日

九州旅行〜その3〜


今日の宿は人吉旅館。築75年の老舗でありながら敷居の高さを感じさせないもてなしとたたずまいが気に入りました。廊下から見下ろす中庭も雰囲気たっぷりでした。もちろん、人吉の湯も堪能しました。


旅館のすぐそばの青井阿蘇神社です。創建1200年、昨年国宝に指定された古刹です。


街の至るところに「きじ馬」が。


こんなところにも。


人吉駅で発車を待つ観光列車「いさぶろう」号。平日のせいか空いてます。


トンネルを撮ろうと先頭でカメラを構えていたら、運転士さんが列車を止めてくれました。
矢岳第一トンネルの扁額に刻まれたこの「天険若夷」の字は、肥薩線(当時の鹿児島本線)建設時の逓信大臣・山懸伊三郎の揮毫。険しい地形が工事によって平らになったという意味だそうです。この区間に乗ってみると標高差を実感します。


日本三大車窓のひとつ「矢岳越え」の風景です。観光列車なので停車してくれます。
曇っていましたが、肥薩線の「山線」の醍醐味を堪能しました。このために左(東側)の指定席をとっておいたのです。


大隅横川駅です。無人駅ですが、駅舎内ではひなまつりの飾り付けがされているようでした。
観光駅長さんらしきおじさんの横の柱には、先の戦争で米軍機から受けた機銃掃射の弾痕が残っています(去年の秋に見ました)。

2009年2月22日日曜日

九州へ 〜その2〜


寝台特急「はやぶさ」は鳥栖駅に停車。わずかな停車時間なので下車できず。味のあるホーム、駅舎をじっくり見たかったのですが。


寝台車はこの通路の窓がいいんです。僕にとっては一日中眺めていても飽きない不思議な「フレーム」です。


長い乗車もあとわずか。長年働いた客車の労をねぎらうように車内を散歩した。


小倉から熊本まで特急「はやぶさ」を牽引してくれたED76機関車。
さようなら、はやぶさ・・・。二人の子連れには正直ちょっときつかったけど、でも3月14日以降はおそらく永遠に走ることのない東京発の「青い夜汽車」の旅を記憶に刻むことができたよ。


どうしても見たかった「リレーつばめ」の785系に会えました。水戸岡デザインの最高傑作といっていいでしょう。できれば乗りたかったです。


熊本から人吉へは「特急くまがわ」に乗車。特急といっても2両、おまけに指定席車両はうちだけの貸し切り! 熊本駅で買った駅弁をつつきながら、さっきまでの「はやぶさ」とは違うゆったりした時間を過ごします。


肥薩線のみどころの一つは、球磨川に沿って走る「川線」区間。この川は球磨川下りの急流で知られていますが、季節のせいか水量は少なめでした。


やっと人吉に到着。東京駅から21時間弱の道のりです。さすがに体がしばらく「揺れて」ました。
ホームで迎えてくれたのは「きじ馬」といって、キジをかたどった人吉の郷土玩具です。息子が興味津々そうに見ていました。


なんと2月半ばだというのに、人吉にはツバメが渡ってきていました。