洞爺湖サミットで「温室効果ガスを50年で半減」させるよう「目標を共有」するとの宣言案がでたらしい。今週の新聞広告、テレビ番組などは「CO2削減」のコピーのオンパレードだ。経済界のアナリストも、温室効果ガスの排出量取引でいかに国益を守るか、などと論じている。どっぷりつかっている。舞台も客席も酔いしれている。政府も、企業も、メディアも皆同じ方を向いている。
どこかおかしい。
京都議定書をはじめとする温暖化ガス削減の意義は、人間の活動で生じた温室効果ガスが気候の温暖化の要因だと断言できる場合にのみ成立する。では、もしそうでなかったら? 人類が残念ながら英知を結集できず、これからどんどん温室効果ガス(二酸化炭素、メタン、窒素など)を排出させたにもかかわらず地球が寒冷化していったとしたら、人類の存在に関係なく地球という惑星の内的あるいは外的要因で気候が変動しているのだとしたら・・・。そのとき誰が責任を負うのだろう。日本が排出量取引などのために毎年負担している1兆円もの金の費用対効果はどうなるのだろう。
「そんなことが言われてた時代もあったなあ」で済むのだろうか。
恐ろしいことである。
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