都立大そばの緑地で、思いがけず梅の花が咲いているのを見つけた。
季節の移ろいを見つけたときというのは嬉しいものだが、
それはある本質から目を背けていることと同義だという気もする。
というのは、時を重ねているのは自分自身も同じということだ。
川の流れを岸辺でただ見送っているのではなく、
自分もその流れに乗って移ろっているのだと。
だったら、自分もたまには花を咲かせないと、とも思うのだけれど。
いつ終わるとも予測のつかない一生に何を残せるのか。
少なくともこの花は僕のカメラのメモリーカードに生きた証を残した。
僕は父として、夫として何を残せるだろう。
こちらはほぼ満開。
人知れず咲く梅の花の姿が、何故か力強く感じたのだった。
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