2008年6月3日火曜日

七堂伽藍


五月晴れの日曜日。前から行きたかった近所の永林寺(八王子市下柚木)に出かけた。かつてこの地を治めた由木城主・大石定久公が、滝山城に移った跡地に創建された寺だ(かつては永鱗寺といったらしい)。1547(天文15)年には、八王子城主・北条氏照の助けで七堂伽藍を誇る大寺院になったという。
北条氏照といえば、小田原城陥落の直前に秀吉軍に攻め滅ぼされた悲劇の武将だ。その秀吉亡きあとここを訪れた徳川家康によって、現在の「永林寺」に改名されたという。「鱗」の字が北条の家紋(三つ鱗)を想起させたから、という説もあるらしい。
三重の塔から俯瞰した境内の雰囲気は、鎌倉や京都の寺院のような風格をたたえていた。ちなみに、この一帯の字名を「殿ヶ谷」という。


総門の赤色。いわゆる「べんがら色」。九州新幹線800系の屋根と同じ「赤さび色」だ。かつてここを訪れた徳川家康からお墨付きならぬ寺領十石を授かってから、許可を受け、この色の門が建立されたという。


江戸時代初期に再建された三門には、立派な仁王像が。息子はコワいと言って逃げた。


奥の由木城趾には、かつての城主・大石定久公の銅像がひっそりと立っていた。


総門(赤門)から我が家の方角を眺める。首都大学とニュータウンの建物がそびえていた。

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